お山の妄想のお話しです。



「アメリカに行きましょう」

そう夜の海で言われてから、俺も少しあっち
の事について調べてみた。

菅田君の留学先はニューヨーク。
映画、音楽、演劇、ダンス、ビジュアルアー
トの中心地だ。

美術館も多くあり、ブルックリンのストリー
トアートには興味をひかれた。
でも生活するには物価や家賃がかなり高い。

菅田君は自分の住む予定の部屋をシェアすれ
ばいいと言うけれど、そこだってルームシェ
アの部屋だ。
ルームシェアの一部屋をさらに二人でシェア
する?
一寸……いや、大分無理があるだろう。

多種多様な人種や文化には刺激を受けそうだ
けれど、そこで数ヵ月、何年か生活出来るか
と言えば答えはNOだ。

それに松兄にも『旅行で行くならまだしも留
学なんて絶対無理だろ』と言われ。
城島さんには『黒柳さんがなぁ、大野がニュ
ーヨークになんて行ったら拐われるから絶対
に止めなさいって言うんや。わしもそう思う
からなぁ、よく考えて決め』と心配された。

黒柳さんは地元の名士で色々とお世話になっ
ている方だ。
海外に詳しい黒柳のおばちゃんに言われると
ちょっと不安になるけど、俺もいい歳のおっ
さんだし拐われることはないだろう。


「大野さん、行きましょうよ。絶対にいい体
験になりますよ!それなりに危険な事がある
かもしれませんが俺が必ず守りますから!」

顔を合わせるたびにキラキラした瞳で誘って
くる菅田君。
夢に向かって進む純粋な心と強い意思。
若い情熱を感じる。

……そんな人に旅行気分でついて行ったら、邪
魔にしかならないのは明白だ。

「うん…誘ってくれるのは嬉しいけど、俺は
行けないや」
「どうしてですか?!」
「英語も話せないし、きっと菅田君の邪魔に
なるよ」
「大丈夫!俺だって英語は片言です!」
「ははは、不安しかないだろ」

為せば成る精神か?それとも若さゆえの放漫か…自信満々で言う菅田君に呆れてしまった。


「ところでさ、どうして菅田君は会って間も
ない俺なんかを誘ってくれるの?」

疑問に思っていたことを訊いてみた。

「えっ、どうしてって…」

菅田君は少し言い難そうに語尾を濁し、少し
間を置いてから真剣な顔で答えた。

「大野さんともっと一緒にいたいから」
「俺と?!」
「はい、フィーリングが合うというか…癒さ
れるというか…」
「………フィーリング?」
「とにかく離れたくないんです、だから俺と
一緒に来て下さい!」
「ぷっ、あはは」

言い方が必死で思わず笑ってしまった。
いきなり笑いだした俺に菅田君はキョトンと
した。

「俺の言い方、おかしかったてすか?」
「ふふ、ごめん。なんだか必死だったから」
「必死にもなりますよ、一緒に来て欲しいん
ですから」

どうしたんだろう、ここにきて一人で留学す
るのが不安になったのだろうか?
でも、きっと彼なら大丈夫。
逞しく一人でやっていけると思う。

「いや、本当に無理だから」
「何が無理なんです?言葉?お金?それとも
俺ですか!?」
「俺?」
「はい、俺が嫌いだからとか」
「それはないけど」
「良かった~、じゃあ何ですか?」
「言葉やお金も厳しいけど、ビザとかも取ら
なきゃならないんだろ?それにパスポートも
持ってないしな」
「あ~、それがあったか!」

俺は学生ビザだけど大野さんは何になるんだ
?なんて菅田君は悩みだした。
真剣に考える横顔を眺めながら、折角のお誘
いだけどやっぱり一緒に行くのは無理だと心
の中で謝った。

だって俺は、誰も俺を知らない場所で甘えら
れない環境に身を置きたいんだ。
アメリカはすぐには日本に戻れないのは良い
点だけど、菅田君と一緒だと本末転倒だ。
それをどう伝えたらいいのか、上手い言葉が
出てこない。


「ビザは詳しい奴に訊いてみます、パスポー
トは申請しておいて下さいね」

暫くあーでもないこーでもないと考えていた
菅田君はそう言い残し、松兄に呼ばれて行っ
てしまった。
押しの強い若者だ…

「…俺は行かないって言ってるのに」

菅田君の真意は不明だが、なんだか求められ
ているような気がした。
勘違いも甚だしいが、ちょっとだけ嬉しかった。

「菅田君って面白いな。さっきのはなんだか
プロポーズみたいだったし」

『とにかく離れたくないんです、だから俺と
一緒に来て下さい』

菅田君はそんなつもりで言ったんじゃないだ
ろうけれど。
あの真剣な表情、必死な言葉…
何年か前、翔くんに告白した時の俺みたいだ
った。

あの時は一世一代の、当たって砕けろ的な告
白だった。
とてもモテる翔くんが俺となんて付き合って
くれるわけがないと思っていたから、玉砕覚
悟だったんだ。

でも翔くんはそんな俺に応えてくれた。
にわかに信じられなくて夢なら冷めないで、
なんて神様にお願いしたりして。

嬉しかった…幸せだった

結局そんな幸福も夢のように呆気なく覚めて
しまったけれど
それでも今痛切に思うんだ。

夢でいい、
夢でかまわないから
あの優しい時間に、愛しい腕に包まれたいと


彼の紛い物の想いを信じていたあの頃…
本当に俺は幸福だったんだ