お山の妄想のお話しです。
「……おい、寝てたんじゃないのか?」
潤君が奥のボックス席に向かい咎めるように
言った。
オレもそっちを見てみると、ボックス席のソ
ファーからニョキっと二本の足が突き出てい
た。
「ええ、眠ってましたよ、さっきまではね。
あんたらが五月蝿いから目が覚めたんです」
あれ?聞いたことがある声?この声…
それから暫くして小柄な男性がボックス席か
ら姿を現した。
「二宮君…」
「こんばんは『雅紀さん』」
皮肉っぽく名前を呼ばれる。
この人がオレや翔ちゃんを許してない事がよ
くわかる。
「カズ、相葉さんは何も悪くないんだからそ
ういう言い方やめろよ」
「それは俺だってわかってるよ、でもねあい
つの親友ってだけで腹が立つんだ」
翔ちゃんがしたことは智さんを苦しめ、その
友達も悲しませた。
俺は翔ちゃんの親友で翔ちゃんの味方だから
責められてもしょうがないんだ。
「……ごめんね」
「あんたに謝られてもね…」
「オレ、翔ちゃんの代わりにどれだけでも謝
るよ!ごめんなさいっ!」
「もうよせよ、カズ。相葉さんもやめて」
潤君が二宮君を軽く諌めると、二宮くんはフ
ンッとソッポを向いたままオレから離れた席
に座った。
「潤君水下さい」
「はいはい…」
二宮君は出された水を一口飲むと、オレの方
へと向き直った。
「あなたがさっき話したことは本当ですか?」
「え、どのこと?」
「……あの人が智を手を尽くして探しているっ
てこと」
「本当だよ!色々な人に訊いて似た人が居る
って聞けば会いに行ったり、智さんが興味を
持ちそうな所に行って探したり…休みの日は
必ず探しに出てるんだ」
「あの人の情報網がどれだけのものかは知り
ませんが、それでもまだ智を探してはいるん
ですねぇ」
「探してるよ!身体を壊すくらい探し回って
るんだよ!それで…」
「で?食事も喉を通らなくなったって?」
二宮君の馬鹿にしたような言い方に少しムッ
とした。
「…それだけ翔ちゃんだって傷を負ってるん
だよ」
「その傷は身から出た錆ってヤツでしょ。
同情の余地なんてないよな」
「 ……… 」
そう言われればそれまでだ。
第三者からはブーメランが戻って来た位にし
か思われないだろう。
でもオレは身を削って愛する人を探す翔ちゃ
んを見ているから、そんな言われ方は我慢が
出来なかった。
「………なんにも知らないくせに…」
「はい?」
「翔ちゃんのこと何も知らないのに、そんな
言い方しないで!」
「知りませんよ、知りたくもないしね。あな
ただって智がどれだけ苦しんだのか知らない
でしょう」
「それは…でもっ!」
「いい加減にしろ!!」
二宮君と睨み合っていると、潤君に一喝された。
「二人の気持ちはわかるよ、どっちも大切な
人だものな。でもここで二人がいがみ合って
いてもしょうがないだろ。仲良くなれとは言
わないけど、お互いの話くらい聞けよ」
正論にオレの怒りは悄々萎んだ。
二宮君はまたプイと横を向いてしまった。
「相葉さん、本当に翔さんは食べられないの?」
「うん、全然食べてないみたい。でも仕事に
は普通に行くんだ…いや、普通じゃないな。
何かをしていないと自分がおかしくなるって、
兎に角仕事を詰め込んでる。それで…」
「それでって?まだ何かあるの?」
まだある、オレにとってもキツいこと。
翔ちゃんの罪の原点だろうか…
「翔ちゃん、オレの名前を呼べないんだ」
「呼べない?呼ばないじゃなくて?」
カウンターから身を乗り出して潤君が言う。
そう、呼べないんだ。
「最近オレのこと雅紀って呼ばないで相葉っ
て名字で呼ぶの。罪の意識からかな、雅紀っ
て単語が口から出せない…音にならないんだ」
「…………そんな」
「嘘だと思う?でも本当なんだ…そこまで思
い詰めている、壊れかけてるんだよ」
オレを呼ぼうとして、苦しそうにする翔ちゃ
ん。初めはふざけているんだと思った。
でも違った、雅紀と呼ぼうとするとハアハア
と息が荒くなる。過呼吸になるんだ。
きっと『雅紀』という言葉が智さんを深く傷
つけたから、身体が発するのを拒絶したんだ。
オレは怖いんだよ、拒食、過呼吸…
その次は?
翔ちゃんは智さんに会うまでにいろんなもの
を捨てていくみたい。
だとしたら、最後はやっぱり…
恐ろしい結末に行き着いて言葉がない。
潤君も難しい顔をしたまま押し黙った。
「………チッ」
沈黙を破ったのは二宮君の舌打ちだった。
「櫻井って奴はどこまで自分本意なんだ」
そして忌々しそうに続けた。
「あんたの話を聞いた限りじゃあ、本当に自
分を消そうとしているみたいですね。それが
当然だと思ってるようだし」
「うん、翔ちゃんは罪の意識に苛まれてる。
無意識に自分を痛めつけて、それを当然な罰
だと感じてるんだ」
「ふん、笑わせる。自分を悲劇のヒロインと
でも思ってるのか」
二宮君はそう言いせせら笑った。
酷い、酷いよ!
いくら憎い相手でも、そんな言い方はない。
「言い過ぎだぞ、カズ」
潤君が不快そうに咎めると二宮君は笑みを消
した。
「だってそうだろ、自分が消えれば万事上手
くいくとでも思っているのか?自分を痛めつ
ければ智が許すとでも?心のどこかで同情を
引こうと思ってるんだよ」
「違うっ!!」
酷い言葉に我慢の限界がきて、オレは二宮君
に近付くと胸元を締め上げた。
二宮君はギラギラと鋭い目でオレを睨む。
「あんたも野蛮な人間なんだな、すぐ暴力に
訴える」
「君が酷いことを平気で言うからだろ!」
「酷いこと?本当のことだろ。しかもあんた
もあいつに流されて可哀相だとか言ってさ、
わかんねえのか、お前ら間違いだらけだぞ!
智が今のあいつの状態を知ったら悲しむし自
分を責めるだろう。それこそ今のあいつと同
じになるだろうさ、何故それに気づかない?
智を苦しめたと悔いている奴がさらに智を奈
落の底に突き落とすような事をするのか!」
「……うっ」
「誰よりも愛している、なんて言っても結局
また智を苦しめることをしてるんだよ。そん
なの罪滅ぼしじゃねえし。自分勝手な思い込
みにすぎない」
「…………」
「あんただって気付いてただろ?気付いてい
て何で『違う』と言ってやらなかったんだ?
もっと早い段階で間違いだと正せば拒食や過
呼吸なんかにならなかったんじゃないのか?」
反論の余地がなかった。
正にその通りだ、オレがもっと早く翔ちゃん
に違うと言ってやれば事態は変わっていたか
もしれない…
でもオレは打ちひしがれた翔ちゃんが可哀相
で慰めるのに躍起になってた。
翔ちゃんを否定する様なことは言いたくなか
ったんだ…
オレは自責の念に俯き、二宮君を掴んでいた
腕を離した。
「カズもうそれくらいにしてやれよ。
相葉さんは優しいんだよ、優しすぎて言えな
かったんだ。誰もがお前みたいに率直に言え
るわけじゃあないんだ」
潤君には慰めてもらってばかりだ。
「潤君、俺だって何でもズケズケ言えるわけ
じゃないですよ。ただ言わなければならない
場面を弁えているんです」
「もう…もう遅いのかな…翔ちゃんの考えは間
違ってるって言うの…」
ダメなの?もう止められない?
このまま最悪に突き進むのを見ているしか出
来ないの?
……やっぱりオレは無力だ…
親友を守れない役立たずなんだ…
また涙が滲んでくる。
「あんた、メソメソしてる場合じゃないよ。
まだ遅くはないはずだ」
「でも、オレはきっと上手く言えないよ…」
「優しすぎるあんたには無理でしょうね、
でも俺には言えるよ」
「え?それって、翔ちゃんを助けてくれるっ
てことなの?二宮君は翔ちゃんを憎んでるのに?」
「勘違いしないでください、あいつのためな
んかじゃない。これ以上智を苦しめないためだ」
二宮君はオレがつけた胸元の皺を伸ばしなが
ら続けた。
「明日、仕事終わりにでもあいつを呼び出せ、お前の考えは間違っていると俺がキッチリわ
からせてやる」