お山の妄想のお話しです。
目の前の重厚な扉を見ながら覚悟を決める。
きっと中に居る人には良い印象を持たれては
いないだろうけれど、オレは彼に会わなけれ
ばならないんだ。
扉の凝った装飾のドアノブに手をかけて、深
呼吸をした。
落ち着け、落ち着け、しくじるな…
何回も心の中で呟いてから、手に力を込めて
ぐっと引く。
店内は以前と同様に薄暗く、閉店間際の時間
帯のせいか客の姿は見えない。
扉から一歩踏み出すと、物音に気付いたのか
カウンターでグラスを磨いていたバーテンダ
ーが顔を上げた。
「いらっしゃいませ…」
営業用の笑顔がオレを見て固まる。
「……まだ大丈夫?」
一応確認『もう閉店です』なんて言われたら
勇気を出して此処まで来た意味がなくなっち
ゃうよ。
「…大丈夫ですよ、いらっしゃい相葉さん」
潤君は今度は営業用ではないだろう優しい笑
顔を見せてくれた。
オレはそれにホッとして、潤君の前の席へと
腰を下ろした。
「ご注文は?」
「えと、さっぱりしてて余り強くないカクテ
ル下さい」
「かしこまりました」
潤君はオレのオーダーに応えててきぱきと動
き出す。
滑らかに動く指先を見つめながら、オレは今
日ここに来た目的である質問を頭の中で繰り
返した。
変な聞き方をして彼を不快にさせたらいけない。怒らせたりしたら元も子もない。
上手くやれ、しくじるな、翔ちゃんのために!
オレは意を決して潤君の顔を見た。
「あの、潤君!」
「はいどうぞ、グリーンコーラルです」
丁度出来上がったカクテルを出されて、出鼻
をくじかれる事になってしまった。
「あ、ありがと…」
「そのカクテルはライチやメロンのリキュー
ルとグレープフルーツジュースをシェイクし
たものです。さっぱりしていてそれ程強くも
ありませんよ」
淡いブルーグリーンのお酒。
カクテルグラスを持ち一口含むとライチとメ
ロンの香りがマッチした南国を思わせるよう
なカクテルだった。
「美味しい」
素直に感想を言うと潤君は嬉しそうに笑った。
そしてオレの前で頬杖をつくと、言ったんだ。
「相葉さん、智の事を訊きに来たんでしょ」
「えっ、う、うん…」
図星を指された…
「何でわかったの?」
「だって、翔さんの親友で常連でもないあな
たがこんな時間に思い詰めた顔をして来たら
そうとしか思えないでしょ」
「……その通りだね」
頬杖をついたまま、眼だけが鋭くなった。
「翔さんに言われて来たの?」
「ち、違うよ!翔ちゃんには何も言われてな
い!オレがここに来たことだって知らないよ」
「そう…」
「オレが勝手に来たんだ、翔ちゃんは関係な
いから」
「…わかったよ。相葉さんが勝手に来て、勝手に智の情報を探ろうとしたんだね」
「そうなの…ごめん」
潤君は頬杖を解くとスッと背筋を伸ばし、そ
してチラリと奥のボックス席に視線を向けた。
「別に謝らなくていいよ。相葉さんに話すこ
となんてないし」
「あの、ごめん、気を悪くした?でもお願い
します、何か情報があったら教えて下さい」
やばい、怒らせちゃった?
咄嗟にカバリと頭を下げた。
翔ちゃんのため…翔ちゃんを元気にするため…
頭を下げて頼むのなんて何てことない。
「相葉さん止めて下さい、意地悪で言ってる
わけじゃないんだ」
「え?」
「俺達も全然情報がないんだ。智の奴まった
く居場所に関する事を書いてこないから」
「メールだけ?電話は?」
「掛けても留守電だし、アイツからは掛かっ
てこない」
「……ああ…」
翔ちゃんは確か着信拒否だったな。
「でもね、月に一度は元気だからってメール
は来るんだ。それだけでも安心できる」
「そうなんだ…じゃあ全然居場所はわからない
んだね」
「ああ、翔さんはどうなの?相葉さんが探り
に来るくらいじゃあ駄目なのかな」
「うん、翔ちゃんも色々手を尽くしてるけど
全然ダメなの…」
はあ、と大きな溜め息が出た。
勇気を出してここ迄来たのに、これじゃあ翔
ちゃんを元気付けられないよ…
翔ちゃんの顔を思い浮かべた、痩せて顔色も
悪くて眼に生気が感じられない…
このままじゃ翔ちゃんが消えてしまいそうで、
不安で怖くて何とかしたった。
力になりたかったのに、オレ、役に立てなか
った……
情けなくて、悲しくて、ぶわっと瞳に涙が溢
れた。
「ちょ、ちょっと相葉さん!どうしたの!?」
オレの涙を見て焦った潤くんがお絞りをいく
つも渡してきた。
それを受け取り涙を拭うけど、後から後から
溢れ出てどうにも止まらない。
「うう、ごめんね…止まんないよ」
「どうしたんだよ?何かあったの?」
「…うん」
オレは翔ちゃんをの事を潤くんに話すことに
した。
オレじゃあどうにも出来ないこと、誰かに助
けて欲しいことを。
「翔ちゃんね、ごはんが食べられなくなっち
ゃったの、無理して食べると吐いちゃう。
だから今はゼリー飲料とかサプリメントしか
口にしてなくて凄く痩せたの。きっと病気だ
から病院に行こうって言っても聞いてくれな
いし…オレどんどん痩せていく翔ちゃんを見
てるとこのまま消えちゃうんじゃないかって
怖くなるんだ」
「拒食症なの?」
「わかんない、ただ凄く自分を責めてる」
「そう…」
「それに変な事を言うんだ。智君にもう一度
会って謝ることができたらもうそれでいい。
その後俺は消える、俺の犯した罪を贖うんだ
って…ねえ、これどういう意味だと思う?」
「それってもしかして『死をもって罪を贖う』
ってこと?」
潤君の言葉に、ああ、やっぱりって思った。
誰が聞いてもそこに行き着いてしまうのかと。
「やっぱりそうなのかな?翔ちゃん死んじゃ
うつもりかな?嫌だよ、オレそんなの嫌だ」
オレは両手で顔を覆い、堪えきれずに嗚咽を
漏らした。
「相葉さん、落ち着いて。違うよ、きっと俺
達の勘違いだよ。あの翔さんがそんな事をす
るはずない」
咽び泣くオレを潤君は慰めてくれた。
何回も翔ちゃんはそんな事をする人じゃない
考えすぎだと言ってくれる。
単純なオレは、きっと大袈裟に考えすぎたん
だなって、大丈夫な気になってきたんだ。
でもその時、
「いいえ、あの人なら本当に死をもって償う
かもしれなせんね」
オレと潤君しかいないと思っていた店内から、
誰かの無情な声がした。
山不在