お山の妄想のお話しです。
「留守番ありがとおな。はい、お土産」
皆が帰ってきた。
城島さんが差し出す包みを受け取りながら、
皆の顔を見回しホッとした。
ほんの数日間だったけれど、一人の時間は淋
しく心細かった。
「しっかり飯は食ってたか?」
「食べてたよ、おばちゃんの食堂にも行ったし」
途中で買い物をしてきたのか、松兄は沢山の
袋を持っていた。
「大野くん、今晩はご馳走だよ」
にこにこご機嫌な長瀬君は缶ビールのケース
を抱えている。
「ご馳走?何で?」
「俺等のライブの成功を祝してとね、あと…」
最後にリビングに入ってきた太一さんが後を
振り返った。
「こいつの歓迎会」
太一さんの後からもう一人現れた。
「はじめまして」
細身の長身、一寸癖のあるイケメンが俺を見
ると破顔した。
その笑顔にはまだあどけなさが残っている。
「こいつ菅田ってーの、今日からここに住む
から面倒見てやってくれ」
「ん?新人さん?」
「一応な。ほんの少しの期間だけ働いてもら
うんだよ。部屋はお前の隣だから案内してや
って、俺等は片付けを済ませるから」
太一さんはそう言うと大きな荷物を引き摺っ
て自室へと向かって行った。
残された俺は一応自己紹介をしておくことに
した。
「はじめまして、俺は大野。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします大野さん」
礼儀正しく愛想のいい姿は人懐こい犬みたいで、好感が持てた。
「部屋に案内するよ、こっちに来て」
「はい」
*
菅田くんを部屋へ案内し台所に入ると、松兄
が調理を始めていた。
「何か手伝う?」
「おお、じゃあ野菜切ってくれ」
「わかった、何を作るの?」
「この頃肌寒くなってきたし、大勢で囲める
から鍋にする」
「鍋かぁ、いいね」
俺は松兄と並んで野菜を切り始めた。
「留守番ご苦労だった。何もなかったか?」
「……魚が足りなくなっておばちゃんの店に配
達に行ったくらいかな」
「そんなもんか」
「で、また海を長時間眺めている人がいて事
情聴取を頼まれた」
「またか、そいつ大丈夫だったのか?」
「うん、本人は全然大丈夫だったよ」
「本人?」
「友達の事で悩んでたみたい」
「へえ」
「友達の彼氏が家を出て行って、友達は凄く
傷付いて見ていられないって」
「いい奴だなぁ」
「そうだね」
「……お前の元カレも、今頃凄く傷付いてるか
も知れないぞ」
「そんなことないよ、俺がいなくても前の恋
人がいるもの」
「わからねぇよ、今頃酷く悔やんでるかもな」
「………だったら」
「嬉しいか?」
「ううん、悲しい」
「どうして?」
「勝手に出て行った俺なんて忘れて、本当に
側にいたい人と一緒になってほしいから。
折角邪魔者がいなくなったんだから幸せにな
ってほしい」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「うん、だって好きな人には幸せでいて欲し
いものでしょ?」
松兄は調理の手を止め俺をじっと見た。
「お前、前の恋人を恨んでないのか?」
「恨む?ないよ」
「そいつのせいで辛い目にあったんだろ?
それなのに許せるのか?」
「…許せるよ。本当に好きな人は忘れられな
いものだもの、今の俺みたいに。それに松兄
が前に幸せだった時だけ思い返せって言った
んだろ、だから辛かったことは忘れようと思
うんだ」
翔くんの心の大事な場所にいるのは俺じゃな
かったけど、まだ俺の心の大切な場所には翔
くんがいるんだ。
ないとは思うけど、この先誰かと付き合って
もきっと翔くんは心の中から消えたりしない、
そういうものだ。
きっと翔くんもそうだったんだ。
雅紀さんが心の中にいて、でも俺が告白なん
てしたからその心に蓋をして付き合ってくれ
たんだろう。
翔くんは優しいから、きっと俺を無下に出来
なかったんだな。
だから俺は恨んでなんていない、それに幸せ
な時間も貰ったから感謝してるよ。
ただ、もしまた雅紀さんと別れたとしても同
じ過ちは繰り返さないでほしい。
悲しく惨めな思いを、もう誰にも味わわせな
いで…
今回の俺の行動でそれに気付いてくれたらい
いと思う。
きっと頭の良い翔くんなら気付くよね。
「お前、その歳で悟りを開いたのか?凄えな
ぁ。俺は絶対無理、怨むし呪うかもな」
「ふはは、松兄はそんなこと絶対しないよ。
そんな強面でも心は綺麗で優しいもの」
「お前、それ誉めてるのか貶してるのかどっ
ちだよ!?」
「んふ、わかんね」
松兄は『お前はそーゆー奴だよな』なんてブ
ツブツいいながら、また手を動かし始める。
俺は出来上がっていく美味そうな料理を見な
がら、今頃翔くんも美味しい料理を食べさせ
て貰っているかななんて考えた。
好きな人と食べる料理は美味しいよね。
俺は安心できる場所で心優しい人達と食事を
するよ。
癒しの場所で傷を塞いで、少しずつでも前を
向いて歩いて行くんだ。
忘れて強くなるんじゃない、全てを憶えてい
ても強くいられる自分になりたいんだ。
いつか何処かでばったり二人に会ったとして
も、久し振りって屈託なく笑えるように…
*
「でなぁ、急にベースの音がせんようになっ
て…」
「あれはリーダーが自分でコード踏んで抜い
たんだろぉ」
「それより長瀬!お前歌詞間違えてたぞ」
「あ~バレたか」
わいわいと話しながら皆で囲む料理は美味しい。
俺はライブでの失敗談に笑いながら、長瀬君
がファンに貰ったというお高い日本酒をチビ
チビと呑んでいた。
スッキリとした切れのある良いお酒、流石お
高いだけあって呑み口がいい。
そのせいで結構すすみ、だんだんホワホワ良
い気分になった。
「おい、お前大丈夫か?」
どこからか松兄の声がする。
「らいじょーぶ…」
身体がポカポカで意識がホワホワで気持ちが
良い…
「大野君、寝るなら部屋に行かないと…」
長瀬君の声もする。
「大野さん、大丈夫ですか?」
優しい手が髪をすき、潜めた声が俺を気遣っ
てくれる。
「う…ん…」
返事をしたつもりだったけれど、そこから後
の記憶は無い。
だから目覚めた時に自室のベットに寝ていた
のが謎だった。
「俺はどうやってここまで来たんだ?」