水槽メンテができる…
その時間が楽しく幸せだ。
移住を急ぐ理由は時間が足りないからで
分かり切っている事をやれずに
時間を無駄にするのが勿体ない。
生きる時間は有限
そこに、機会やら運は関係なく
行動するかしないかでしかない。
ただその一言に尽きる。
植物も私も。その土地、環境に馴染み
生き抜く戦略を立てるためには
失敗を繰り返し経験した情報を
自身に取り込みながら順応適応するわけで
樹木は10年では育たず
大地も種も全ての生命が
小手先、人智の枠内の箱庭では語りきれず
思い通りになる自然界ではなく
その循環を知ること。
時間をかけ語り合わねばならないのに
私はもう人生の半分にきている。
あと何年生きられるの?明日、今?
そんなものはわからないが
明日が来るのが当たり前と思わないまま
幼少期から毎日、ありがたく生きている。
ガラス拭きから始まるか、苔掃除からか
スキマーカップ洗いから始まるかは気分次第
点灯する13時、さっくり見回し
メンバー確認をしていれば魚達はザワザワ。
餌を要求しているのか愛されているのか(ナイ)
実は苦情を申しているのかはわからないが
腹は減っているだろう事はわかる。
なぜなら、海であるなら食べたい時にたべ
全ては自身で決められる自由がある。
そして彼等は人間と全く違い
循環を体得しその中で判断し生きている。
全身で危険を察知し、時間を生き抜いている。
私よりもよほど賢く尊い…。
水がスカッとしているのが嬉しいが
微細な巻き込み泡が残念だ。
水流もあまり気に入らない。
それをどうしたらなくせるかなど
自分で考えるのが楽しいからやめられない。
昨夜はデス水槽の今後を考えていた。
水飼育をしているわけだが、
様々な死体遺棄では
あまり面白くないし遠回り。
死滅した貝の殻や身、カニや虫の亡骸は
わかりやすく見つけやすいので
都度取り除きながら謝りながら…
気持ち悪さに涙目にもなっていた。
私は感覚バカな分、嗅覚も人より敏感⤵︎
尚且つ物事の脳内再生がリアルすぎる分
ぬるぬるやドロドロ、そして腐敗臭が
無理でありそこに優しさや愛は微塵もない。
お台所の三角、風呂場の床すら触れない。
素手、素足で触ってぬめりがあれば
しばらく洗っても脳内では様々な死滅から
繁殖、それに伴う臭い手触りまでが
経験と知識と想像を合わせ
リアルに脳内再生される…
周りには理解されがたい変人なのだ
死んだ石灰藻、これも種類によりぬめる。
ガビガビやらガサガサなら良いが
ぬめる=循環に溶ける速度が緩慢である
=水質や全体循環も安定に時間がかかる
そんな計算式となった。
だから飼い主が手助けというより
引導を渡して去ってもらう方が都合がよい。
こんなところでも自然、環境破壊をし
循環の流れを遮るのだから、欲とは愚かだな。
様々な生命が息づくライブロックだったなら
そのままニコニコ見守ればよいのだが
死滅させてしまったならそれはそれが現実
うまく使ってやってこそ弔い…
バリバリ剥がし使いやすくする事
まるで狩のごとし…(ぇ。
すっかり綺麗サッパリになったので
また養生の意味も込めて遊びながら組んだ。
楽しいな。
これも束の間、決めてはいない。
我ながらカッケー✨と自画自賛。
おふざけはまぁよしとして…
わざわざこうしているのは理由がある。
定着、安定をさせない為であり
死なせたなら組みやすい土台にする為だ。
砂も今ここで好気や嫌気に傾かれては
入れたい水槽に引っ越す際
思考を張り巡らせ神経を使うのが
労力、時間の無駄に思うからである。
こないだ生き残っていた1匹のプランクトンに
"生き伸びてくれよ"と願いと謝罪をしながら
砂を掻き回す理由はここに在る。
この水槽内で定着、安定を開始されては
こちらとしては非常に困るのだ。
だから立ち上げでもなんでもない。
これは単なるストック水槽でしかなく
本番水槽でもなければ、再挑戦でもない。
自分の時間を再び持てただけの
そのワクワクに…浮かれた罰でもある。
いつまで経っても冷静になれないのは
全身で喜怒哀楽を表現する人間だから。
脳みそはいつでも空っぽなのだ。