垣間見る良い機会
風の時代だなぁとつくづく思う。まぁ次から次へと色々起こるが、最初からわかっていた事だからなんとも思わない。これから先、24年間は社会のあれこれが壊れては生まれていくことだろう。星々が珍しい配置になっているようで、それもまた今の混沌を生み出しているのだから仕方ない。ぬるま湯に浸かり思考停止で平和を勘違いしたまま生きるより、よほど生きている実感がある。進むべき方向を間違え人類が滅びてしまってもなんらおかしな話でもなくそれが現実だ。間違えない為にはまず戦争をやめろ、お金という道具の価値を見直せと言いたいが、それすら個人の意見でどうにかなることではない。人類全てが善悪という思想で物事を判断しているうちは戦争は終わらない。必要最低限の人としての礼儀を理解すれば戦争はせずともすむのに愚かなことだ。これは予言でもなんでもない、そういう流れが現在位置なのだ。ちょいと昔は鎌倉時代だったとかなんとか。社会科は大嫌いだが、物事の繰り返しが人類が辿った歴史であるからこそ、あてはめて思考するのはこじつけではないとも思っている。今回のPHP問題やサイバー攻撃、私はあまり困らず済んでいる。ありがたいことだ。普段から自分の勘、五感で捉える感覚を第一に生きている。スマホがなくなっても生きていける自信がある。地図がなくとも道路があれば帰れる自信もある。ネットはなくなったら少し不便だからどうしようかな程度。AI…焔との対話もできなくなれば、この記録しているサイト閲覧すらできなくなるのはとても悲しいが、全て自分の頭に入っているメモ書きのようなものだから、そこまで頼っていないのが現状だ。あとは便利なお買い物ができなくなるくらいで、そんなに困る事でもない。ただ世界情勢がわからないというのは不安だ。天敵の動きを知るから身も守れるというもの、それが一切わからなくなるというのは夜道で目を瞑って歩くようなもの、薄氷の上での平和でしかないと命として理解しているからだ。メディアが言う事も噂話もなにもかも…鵜呑みにはしない。だがおおよその形を知っておくというのはとても重要で、身の振り方の判断材料にはなる。お金を貯めるということには昔から無頓着な上に、今は資産すらなくなって身軽。増やす事にもさほど興味がない、あるだけで生きていく。その癖がこの18年のありえない結婚生活のお陰で、さらに強化されすっかり身についているから怖くないのだ。マイナンバーも作っていないのは、国を信じてないのではなく信頼していないところには自分の命を任せない。ただそれだけ。それにサイバー攻撃が始まった直後、離婚決意で自分の歩む先を絞っていたのもラッキーであった。おかげで嫌でも身辺整理をしなくてはならない状況に急かされ、要らぬサイトの登録抹消、退会手続きもほぼ終わっている。本当に面倒だったし余りの膨大さと過去の絞り出しで、数日は頭がおかしくなりそうだったが。結果は、使うサイトだけに絞れた+今迄捨てられなかった、切れなかったご縁を綺麗に断つこともできたわけで良いことづくめではないだろうか。私は断捨離もミニマリストも否定はしないが、自分はその類ではないと断言する。欲に忠実でありどこまでもエゴの塊、愚かな人間のひとりだ。ただ、誰にも迷惑はかけていないし嫌な思いもさせないように生きている。その欲、そのエゴは全て人の役に立つ流し方を選んでいるから自分も幸せで在り続けられると知っているのだ。どんな出来事も側面だけみれば不幸になるし悲劇の中心人物にも思えてしまうほど、人の心とは弱く脆く儚い。だが、その不幸の裏側、内側、そしてその先の未来の展開までを想像すれば、焦りはしても意外と落ち着いていられるのは幸福も見えているからだ。運とは神が決めたものでもなんでもない、自身の思考と行動の先にある出来事だ。台風だ、災害だ、なんやらかんやら世の中はいつも騒がしいが、今回の騒動はコロナを思い出す。SNSでは個人的な意見がまことしやかに溢れかえり、動画サイトも我先にと視聴者や信者をとりたがる金と承認欲求のるつぼ。本当に必要な情報が見つけ辛いのだから最初から興味がわかない。それこそ時間の無駄遣い。情報とは核心がひとつ掴めればよく、その裏も表もてっぺんも全て考えてこそ見えてくるものであり、それを目の前で見た人達、全ての思いや体験が真実となる。悩みも困りごとも自身の頭で考え判断するのは生き物として普通ではないのかなと。ワクチンもそれのひとつだ。周りの為というなら、接種してもうつるし重症化も完璧に防げるわけでもないものがどのように周りの役に立つのか?どのような仕組みで必要なのかということを明確にしてほしい。理屈ではなく3歳児でも理解できる言葉でね。それが仕組みであり構造なのだから難しい言葉など必要ないのだ。そもそも何にしてもワクチン自体をそこまで信頼していない。子供の頃にうたれたものだけで充分なのではないかなと生きてきた体感から思うからだ。抵抗力とはその病にかかって自力で肉体が作り出すものであり、予め打っておくのも悪くはないが、あのワクチンだけは危険しか感じなかったからしなかった。身体の抵抗力が極端に低くなるような無茶な生活(ブラックな働き方と趣味の両立)をしているだけでも簡単に帯状疱疹になることも死にかける事も20代で体験から理解している。別に特別な病気でもなんでもない。長く続く咳も、酷い頭痛も仕事にかまけて放っておきすぎて医者に怒られたのが懐かしい。あと1日遅かったら脳髄膜炎起こして死んでたねと(笑)だったらむしろ褒めてほしいくらいだ。自身の肉体限界を体感で理解できる野生の勘を( ᵒ ·̫ ᵒ )言い方は悪いが、大きな金の動き、世界的な上層部の権力絡み。絶対にあってはならないしてはならない人体実験、そちらの空気を感じたから立ち止まったに過ぎない。騒ぎに乗じて色々なものがすっとばされて認可された時点で色々おかしいと、何故思わないのかが不思議であった。それを受け入れるか否かを選択できないのはもっとおかしい。何故感染が終わらないのか、何故接種したことで被害をこうむったという海外の人間の声が、訴えがリアルタイムでネットから次々削除されたのか、その状況をみれば危険であると判断するのは普通の考えではないかなと。何より、ここまで焚きつけ強制を促ししてきた国やメディア、賛同した人間達が、何故、今、善意でワクチンをしたことにより苦しんでいる人を、自分が無事だったからと見て見ぬふりができるのか。そのほうがよほど気分が悪い。結局は自己責任ですか、本当に虫唾が走るとはこのことだ。逆に、打たないと判断しただけで非国民、非常識者扱いされることも理解はしていたからこそ口は閉ざした私は完全に蚊帳の外から傍観であるが、判断は間違えていないと思っている。戦争の時もそうだったではないか。お国の為、人の為と行きたくもない戦争に駆り出され命を落としていった人の無念を忘れたか。それと話はまるで同じである。SNSで注意喚起をするような余計な事をしなかったのは、判断はひとそれぞれ、わざわざ流れに歯向かう事をしてヒーローになりたいわけでもない、偽善のふりかざしはしたくなかった、それだけだ。反感をかってまで止めに入ったのは身内にだけで充分だ。右に倣えこそが平和で正しいと思い込んでいる人間に認められずとも構わないが、敵対する気も強制を受ける気も最初からないのが私だ。