運転してみて、


運転して貰ってたことの


有り難みが身に沁みた。


自分一人で乗っていても


細心の注意を払う。


増して他人を乗せていれば


精神的な負担が


大きかっただろうと思った。


当たり前のように


甘えて乗せて貰ってた自分が


恥ずかしい。


って、気づくための前半だから


正解と言えば正解なんだけど。


申し訳なさとありがたさで


いっぱいになる。


見た目に惹かれて


古い車を買おうとしたけど、


今から運転するには


安全に配慮された


新しい車の方が良い。


老いては子に従え、って言うけど


息子が言う通り、と思った。


昔の人が残した言葉が


今も生きているのは


確かにそうだからなんだろう。


逆に、


親の意見と茄子の花は


千に一つの仇もない、


って言うのも


確かなことでもあるんだろう。


いずれにしても選択するのは自分。


柔軟に対応する力は


経験で培われる。


もう経験しないことが経験、


とは言えないな、と思う。


経験しないでいることは損。


止まっていてもいいけれど、


いつまでも留まり続けるのは


勿体無い。


自分のしたいことをせずに


終わってしまう前に、


動き出そう。


いつだって遅くない。


そう説得して回るより


背中を見せていきたいから、


傷だらけになっても


先を行くことにした。


経験だけが


自分を導いてくれる。


ここでし残したことは


お世話になった人に


心からの感謝を伝えることと、


運転して仕事に行くことと、


綺麗に片付けて去ることなんだな、


と気づいた。


恥のかき捨て、とばかりに


いつものように


消え去って行こうとしたから


止められた。


縁は切っていくものではなくて


繋いでいくものなんだろう。


切れたように見えても


ずっと繋がっている。


繋がっているからこそ


出逢う。


自分が納得していない。


誤魔化しは効かない。


宇宙の流れは


いつだって完璧。