七夕の夜に美しい星空が


見えたのは何年ぶりだろう。


私の記憶には久しい気がする。


役割を怠って離れ離れになった


織姫と彦星。


待ち望んだ日の美しい夜空を


どんな想いで迎えただろうか。


滅多に逢えないからこそ


想いは募る。


郷ひろみも歌ってたっけ。


「会えない時間が愛育てる」って。


言葉ってすごいなぁ、って思うのは


時を超えて想いを共有出来る。


変わっていく言葉もあれば、


ずっと変わらない言葉もある。


想いも同じだなぁ、って思う。


あちこちの美しい景色を観に行きたい、


ずっと、そう思っていたけれど、


最近はその欲がなくなって


ひと所に落ち着きたい。


そう思うようになった。


こんな家で、


こんなインテリアで、


って思っていたのが


唯一譲れないのは


景色だって、気づいた。


いや、思い出した。


それまでは、玄関の向きが、とか


水場がどこで、とか拘ったのに、


どっち向いていようが、


不便だろうが、暑かろうが


寒かろうが気にならない。


この景色を観たかったんだ、


って思い出した。


いつだって、空の暮れるのを


山の端の色が変わるまで眺めていた。


月や星が出れば夜空を見上げていた。


今でも、雨上がりに日が差すと


飛び出て


虹が出ないか確認する口笛


いつの間にか電線で切り取られた空を


眺めることが当たり前になった。


遮るもののない景色を


私は望んでいる。


心から欲している。


空に近い場所を求めている。


風を感じて、光を浴びて


雨で洗い流し、潤った大地から


芽吹く草木と一体になって


暮らしたい。


それでいて人の気配も感じていたい。


標野凪さんの「占い日本茶カフェ」の


売茶翁と呼ばれた僧のお話と繋がった。


夏目漱石の俳句


「売茶翁花に隠るゝ身なりけり」を


「穏やかな笑顔を浮かべ、自然の木々や


花の中に溶け込んで、人より目立たず


特別なことをせず、あるがままの姿で


ただそこにいて、ただお茶を入れている」


そう解説されていた。


お茶を上手に入れることもできないし、


紅茶やコーヒーを


インスタントでも何でも


ただ美味しいな〜って


愉しむことくらいしか出来ないけど、


ありたい姿はこんな風でもあるな、


って思った。


私は私で、何か特別な人に


ならなくてもいい。


ただ私であるだけで


自然に溶け込んで景色を楽しみたい。


その美しい景色を


人にも観せてあげたいな、と思う。


先日、視た占い師さんの言葉が


耳に残っていた。


「ハブ空港のような役割」


ほっと寛いで、元気を取り戻して


飛び立って行けるような、


いつか、そんな役目に


なれればいいなと思う。