情に流される女が数々の経験を経て、



あー、誰も彼もを救うことは



出来ないんだなぁ、と知った。



感情のバランスが取れてきた、



と言えばいい感じに聞こえる。



昔の私に比べると



かなり冷静、ドライになったなぁ、



と思う。



なぜか、川に浮いて流されている



鳩を見ても、



とても届かないと悟ると



まぁ、心穏やか、というわけには



いかなくても、



ごめんね、助けてあげられない、って



声を掛ける程度になった。



恐らく弱っているから、



地上にいるより他の動物に狙われない



ことを悟って、流されているんだろう、



と思うようになった。



仕方のないときは抵抗しない。



流れに身を任せる、ってことを



教えてくれているのかもしれないなぁ。



同じように人も



一時的に他人の助けは借りても、



心の傷は自分で癒さないと



癒えない。



言葉もどう受け取るかは



人それぞれで、



出した方が満足しても



受け取った方が



どう感じるかは分からない。



先日の優先座席の一件で、



お説教された若い人が降りるとき



年配の紳士に、



「あなたのような人に出会えて良かった!



1日でも長く生きてください‼︎」って、



大きな声で言った。



言葉としては何一つ悪いことは



言っていない。



だけど嫌味なのは分かる。



正しいことをしたと信じている紳士が



どう受け取ったかは分からないけど。



頑張ってる人に



頑張って、って言うのは



さらに追い込む、とか。



気をつけて、も言わない方がいい、とか。



つい、人に頑張って!って



言ってしまうことってあるなぁ、



ってなると



もう話すの辞めるか、ってなる。



だけど、その言葉自体より



どんな気持ちが乗っているか、は



実は人って、敏感に察するんじゃないか



と思う。



伝わる、ってそういうことじゃないかな。



温かい気持ちも、冷めた想いも。



疲れていると



言葉だけに囚われてしまうから、



自分を労ることを心懸けようと思った。



心と体を労る。



自分と正直なコミュニケーションを取る。



そうしていれば



自然と穏やかな雰囲気が出て



一緒にいる人が



窮屈な思いをしなくて



良いんじゃないかと思う。



あるがままを受け入れることは



時に厳しいこともある。



自分にとっても



人にとっても。



でも、それがまた、いずれ



新しい扉を開くことになる。



焦らず、



自分を労ることに専念しようと思う。