お花が趣味だったから、


入学式や卒業式に


生花のコサージュを作ることが


楽しみで、よく作った。


このバランスを見るのに


よく夫に見てもらったんだけど、


これが中々、良い指摘をしてくれた。


普段の生活では雑に見えるのに


中々の審美眼を持っている。


だよなぁ。


若さだけが売りの私に


仕方なく付いてきたわけだ口笛


まぁ、他に相手にしてくれるような


美人がいなかったから、


お互い様である。


夫の母も花好きな人だったので、


いつも綺麗に花が活けられていたらしい。


見ていないようで、


庭のどこにどんな花が咲いているか


知っている。


そういうところが


この人の良いところだったりする。


実は私以上に


繊細なのではないだろうか、


と思っている。


なのに、持ち前のポジティブさと


拘らない性格で、


入社以来、40年以上勤め上げた。


ありがたかったなぁ、と思う。


実家の父は気は悪くないけど、


気分の上げ下げが激しくて


帰宅するとあからさまに


機嫌の悪いことが多くて、


よく当たられたから、


夫の変わらぬ機嫌の良さに


救われた。


父に似ているのは私だ。


嫌だったはずなのに


知らず知らずのうちに似てしまう。


夫の忍耐力に感謝しかない。


晩年、父は謙虚で穏やかな人になった。


父も本来は優しくて繊細。


時代や何かで我慢を強いられて


無理してきたんじゃないかと思う。


ありがたかったなぁと思う。


数々の発展や物質的豊かさは


男はこうあるべき、


というものに支えられてきたのも


事実なんだろう。


父同様、無理していた男性も


数多くいたかもしれない。


ビクビクしてたから


ろくに会話もしたこと


なかったんだけど、


最後の最後に


病院へ移る父に付き添った時、


初めて娘らしい会話ができて


自分でも驚いた。


会話といっても


言葉が出るわけではなくて、


うなづいただけなんだけど、


それで十分伝わった。


看護師さんも驚いたくらい。


嬉しかったなぁ。


いつも連れ歩いてくれたから


思い出は沢山あるんだけど、


忘れられない思い出になった。


私の軸が通るまで


待っていてくれたんだろう。


母が亡くなって父と妹が残された時、


既に介護が必要になり始めていた父。


母が亡くなる間際に


妹は我慢の限界が来た。


親の思い通りにした娘は


最後までは思う通りには行かなかった。


妹は我慢も強いられたけど


しっかり役割を果たしたし、


本音を出せたから


良かったとは思う。


最後まで本音を言えなかった私は


父を看るために


夫を置いて中学生だった娘を連れて


実家へ戻った。


妹を自由にしてあげたかったのと


役割を果たしたかったから。


だけど、


カゴの鳥をいきなり外へ出しても


飛べない。


母のコピーみたいな私だったから、


お互い余計拗らせた。


悪かったな、と思う。


そもそも、妹は自由が


なかったわけではなくて


親の愛情も沢山受けていたし、


それも自分で選んだことだった。


境界線が曖昧だからお節介になる。


娘はそのまま自立したから、


夫からは娘を取り上げちゃったし、


何だったんだろうって思ってたけど、


これもそれぞれが決めてきたことで


必然だったな、と、今は思う。


子どもの頃は


親が友達の親より年取ってて、


頭が固くて嫌だなぁ、って思ってたけど、


お陰で早くに自由にしてもらえた。


親がいなければ


育つ過程で苦労があるけど、


介護は無い。


人の経験はそれぞれ違う。


何でも表裏一体なんだよなぁ。


親の介護って、大変だけど


嫌なものだけでもない。


出来ることなら


気持ちよく最期まで


看てあげたかったな、と思う。


とても器がなかったけど。


黙って出来る人は凄い人だと思う。


やっぱり、自分が満たされていないと


人のことまで回らない。


エネルギーの反作用というか、


逆回りで回って


みんなで奪うエネルギーの循環を


起こしてるみたいだった。


本当は最期まで元気でいて、


自分に集中して生きられると


いいけど。


そのためにも本音で生きて


手を借りることがあっても、


精神的には自立する。


土台が出来てこそ


自分らしい生き方が出来る。


いつからでもいくらでも


軌道修正は出来る。


幾つになっても


当たり前の中に光を見つけて、


自分らしく生きることは


出来ると思う。


エネルギーは人から奪わなくても


いつだって


潤沢に与えられている。


自分と繋がって


機嫌良くいるだけで、


自然と良い循環を


起こしていくことが出来る。


安心して


自分に集中していればいい。