子供の頃


今日あった出来事を話したくて、


急いで帰って母に話すと


逐一、言葉遣いを丁寧に直された。


もう、嫌になってしまって


話さなくなったから


不機嫌になっていった気がする。


一挙手一投足を


そんな感じで指摘されて、


ぎこちなくなってしまった気もする。


母のせい、だけではないけれど。


まぁ、直さずそのままにしておかれたら、


それはそれで


ちゃんと躾けてくれなかったから、とか


言いかねない口笛


いつの間にか


それが当たり前になって


母のコピーのように生きていたから、


子供にもおんなじようなことしてた。


上品に見える服装、髪型、


言葉遣いの人が、本当に上品なのか、


上品って何を指していうのか。


同じように


粗末な身なりや粗暴に見える人が、


心根までそうなのかは


見た目だけではわからない。


幸福かどうかも同じこと。


見えないものを見る力って、


そういうことなんじゃないだろうか。


形ばっかりに囚われて、


本当に大切なものを


見失ってはいないだろうか。


自分がどう見られるかばかりに


気を取られて、


大切なものを失ってはいないか。


自分にとって


本当に大切なものは何か、


目を凝らして見ないと


見えない。


見えないものを見る力って


そういうことじゃないかな。


今は学習したから、


娘が!っていう、髪の色で


帰ってきても


ヘェ〜、って笑って


いられるようになった。


会う回数も会話も増えている。