息子の気配が無くなって


久しい


母の日、ですが口笛


で、ふと思った。


あー、本当は若い頃の私が


こうしたかったんだな、


家族はこうあるもの、とか


仲の良い親子は、とか、っていう


常識に縛られて


すごく無理してきたんだな、


そう思った。


自然にそれが出来る家族は


それでいいんだけど、


土台が作られていない上に


立派な家を建てようとしても


無理がある。


自分のことなんて大嫌いで


大切に思えないのに、


育ててもらったし、とか


お母さんは身体が不自由だし、とか


妹に押し付けたし、とか


常識で考えて、


外側ばかり取り繕って


良い娘でいようとした。


いや、良い娘でもなかったな、


お互い、本音を言わないから


不具合を起こしていた。


結婚して家を出て


ホッとしたのに、


呼ばれるたびに帰るのは


大変だったけど、


嫌って言えない。


ホッとしたのに


自分のことを忘れられるのは


嫌だったんだろうと思う。


距離を置いた分、


有り難みが分かったりもして


恩返ししないと、って。


子供の頃、育てるのが


大変だった、って、しょっ中


聞かされたし。


嬉しそうだったけど。


大変って言うより、


楽しかった、って言ってくれたら


良かったのに、って思った。


表向き取り繕っても


見えないところで伝わっている。


何かしら不具合が多かったのは


そういうことなんだろうと思う。


罪悪感で人に何かしても


人は喜ばない。


親だから、子供だから、


長女だから、っていう役割で


聞いてあげないと、とか


何かしてあげないと、って


いうのは、もう、いらないんだな、


と思った。


大人になった息子に


自分のこと好き?って


聞いてみたことがある。


うん、まあ、好きやで、って


答えるのを聞いて、


あぁ、大丈夫だ、って安心した。


自分のことが好きでいられたら


何があっても、なくても大丈夫。


自分が助けてくれる。


何歳だとしても


どんな状況でも


自分の人生に集中する。


他人に機嫌を取らせてはいけないし、


取ってもいけない。


人の力を奪ってもいけない。


息子に依りかかって生きるのは


なんか嫌、って感じたのは


私の精神的な自立の


始まりだったんだな、


そう思う。


だからこそ、息子も自立して行った。


写し鏡だ。


今、先は何も見えないのに


何故かワクワクする。


今までの常識の枠を外したら


自由だけが残った。


不安ではなくて、


それを自由と言うんだと知った。


夫といると面白いけど


夫と一緒でなければ、という


執着も無くなった。


お互い自由にすればいい。


だからこそ、


一緒にいられる時間が


有難い。


ゴールだけはブレずに定める。


自分に軸が出来たからこそ


何も無い自分を、


宇宙の流れを、


信頼できるようになった。


よく耳を澄まして


目を凝らして見るといい。


奇跡はあちこちに溢れている。


すべては繋がっている。


途中に何があっても


最終的には


自分を幸せに導いている。


全部必然だよ。