情に流されるタチ。


つい人が困っていると思うと


分け与えたくなる。


マザー・テレサも言ってたし、


自分が困っていてもさらに


困っている人に分け与えようとする


心が尊いって。


頭で考えて、


正しく生きようとするタイプ。


でも、それをやるとどうも


うまく回らない。


自分の欲しいものを我慢して


人に差し出しているうちに、


欲しいものの額を


遥かに上回っていた。


自分のは必需品では無いし、って。


臨時収入も、なかったお金だからって、


人に回そうとするとなぜか滞る、


ということが続いて気づいた。


情で人に使う分はどんぶり勘定に


なりがちだった。


神社のお賽銭とかも。


健康で歩いてこられるだけでも


有難いって。


元々、損得はないって思ってるし。


無いんだけど、


今、自分が困ったらいけない。


しかも、助ける相手。


本当に必要のある人を助ける時には


必ずそれ以上の


不思議な臨時収入があった。


滞るってことは


自分を後回しにして、


しなくていい人に


し過ぎている。


マザーが言ってるのは


逼迫している人への分かち合い。


しっかり考えないといけないのか。


地に足をつける、って


そういうことか。


何事もバランスなんだな。


正解は一つではなくて、


人それぞれのちょうど良さがある。


人助けにしても


その人の人生を肩代わり


してはいけない。


どんなに大変そうに見えても、


それぞれの生き方があって


魂の喜びはそれぞれ違う。


人の頑張り時を


奪ってはいけないし、


後で嘆くほど


施してはならない。


その時々で、程よいバランスを取る。


それが自分と他者との


調和でもあるんだろうと思う。