子供の頃は、母親のマウンティングが日常で、ちょっとでも言い返すと機関銃のようにディスられて、頭を押さえつけられていたから、勝つこと、勝とうとすることは「悪いこと」だと、深層心理に植え付けられていた。


怖い眼をして攻めてくる相手を、どこか冷めた目でみてた。どうしてそんなに勝とうとするんだろう?と。おそらく試合会場で棒立ちだったと思う。


大人になって、右手打ちを直すと決めたときから、試合にも、勇気を振り絞って出ることにした。


その時にはもう、勝ちたいという気持ちは、どこを探してもなかった。負けると、やっぱり、と納得していた。引き分けになると、ほっ、とした。


大人の試合は、数が少ない。何かの予選会ばかりだ。勝てるはずのないくらい、地力の差のある相手に挑むのは、なかなか精神力を要した。


合同稽古での練習試合もあったが、互角と思える相手からも、一本とることは難しかった。


試合に望むと極度の緊張で、やっぱり喉はカラカラだった。頭のなかで、ダメなイメージがぐるぐる回った。


右手打ちでスピードがないので、打ち出すタイミングも、相手と合わせたら打ち負けるので、機会じゃなくても先に打ち出すしかない。動いて動いて、引き分けになるのが精一杯だった。


それでも、大人には時間がない。出来るときに出場しなければ、あっという間に年を取ってしまう。コロナ禍で、すべての試合が中止になるまで何年も頑張った。


でも、結局、試合について、何かを学べたか?と聞かれても、何も、としか言えない。


唯一の発見は、私は、相手に対して怒ってるときは、実力が出せる、ということだけだった。