試合は稽古のように、稽古は形のように、形は試合のように、とは、昔、出稽古先で聞いたと思う。


その場でわからないことは、とりあえず覚えておいて、後回しにしてきたが、もう後回しには出来ない。


形は昔から好きで、出稽古先での指導で一番楽しみな項目だった。


目上の、七段の先生方相手に、仕太刀も打太刀もしなければならなかった。


打太刀なのに、気位で負けて、情けない気分にされることがよくあった。


これを払拭できたのは、呼吸を発見したおかげだ。


インターネットの動画で、検索ワードは、法定の形、だったと思う。


沢山の胴着袴の男性が、太い木刀を大きくゆっくり上下素振りしながら、ズガーと音をたてて呼吸していた。


何度か繰り返したあと、前に進んで形を打つ。


この動画に圧倒されて、何度も見返した。同じ呼吸音がでるように真似をした。


音をたてるには舌の奥で気道を狭めるので、呼吸に腹圧を要するのだ。


その呼吸をすることに意識を向けて、出稽古先で形を打ったら、お相手の七段の先生の方が、息が上がって汗だくになっていた。


以来、形のときには、上げるときに吸う、下ろすときにはく、を基本に、呼吸と動作を合わせることで、相手の動作と合わせれば、呼吸も合っていると解釈出来ると、勝手に思っている。


私の形稽古はは、そこで止まっていた。


仕太刀といえば、弟子の位で、打太刀よりも先に動いてはいけない。足の運びひとつも追い越してはいけない。呼吸まで合わせる。というものだと捉えていた。


しかし、これは、表面的なことで、真の意味は、他のところにあるということを学ぶことになる。