コロナ禍の最中、道場では、ひたすら脱力をメインにした基本打ちが繰り返された。


私がどんなに力を抜いて、竹刀を落っことしそうになっても、声を出さないのだから、もっと脱力出来るだろうと言われた。


これは、おかしい。


脱力する、というのは、腕や肩から力を抜くことではないのではないか。


元立ちの先生方をじーっと見た。力は抜けているのか?


かかり手の皆さんをじーっと見た。力は?


???


見ただけじゃ、その人の腕肩に力が入っているかどうかなんて、わかるわけがないじゃないか。


力が抜けているように見える、っていうことなら、私にもわかる。


剣道は、見た目が大事なのかもしれない。


審判だって見た目で判定する。小手なんて、打突部位ぬ当たってなくたって旗が上がる。


力を抜くんじゃなくて、力が抜けて見えるように構えて、力が抜けて見えるように打てばいい。


そうすれば、人には、脱力して見えるはずだ。