【中編】需要と供給と観客動員 | ボクシングライフW

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趣味と言うよりライフワークになっているボクシングについてとりとめもなく感じたままに

昨日の続き。

私が小中学生の頃、華々しいアメリカのリングに日本人がリングに上がる………そんな光景を夢見ていた。

きっかけは尾崎富士雄がマーロン・スターリングに挑んだ時だったと思う。

いい面構え↑

当時、ラスベガスと双璧をなす本場アトランティックシティで開催。テレビで見る限り、それほど広い会場では無かった様に思えた。だがアトランティックシティで日本人がスターリングに挑む………これだけで胸が躍った。
結果は惜敗。勝てば日本人初の本場のスターになれたかもしれない。

尾崎以外にもアメリカのリングに上がるボクサーはいる。特にここ20年は画期的に増えた。

しかし、である。

小学生の私は日本人がアメリカのリングに上がる夢を観ていたが………いざ次々と実現すると感動がない。

昔、ジョー小泉氏が「いつか強い東洋人を連れてアメリカのリングに立たせたい」とよく語っていたが、マニー・パッキャオの活躍により全てが叶ってしまった。

では日本人は?

風向きがおかしいと感じたのは辰吉が網膜剥離になってからだと思う。当時は網膜剥離 = 引退だった。

日本で試合が出来ない為、ハワイを含むアメリカで試合を行った。だがこれは私の望んだ日本人アメリカ進出ではない。単に日本の興行をアメリカでやっただけ。西岡VSマルケスもそう。

ドネアVS西岡は違うかもしれない。よくわからない。

井上VSニエベス、井岡VSアローヨは興行名が「スーパーフライ」なので歓迎されたかも。
売り込んだのは日本側かもしれないが、需要があるなら両者の利害が一致し、結構な事だ。

井上VSマロニーもフジテレビとWOWOWがそれぞれ幾らESPNに支払ったか聞いたが(書きません)………これは私が幼い頃に夢見た日本人ボクサーがアメリカのリングに立つ姿ではない。

「是非、日本の○○選手を生観戦したい」

と現地のボクシングファンが願い、海外のプロモーターが要望に応え、アメリカのリングに日本人ボクサーが呼ばれる事を夢見ていたのだが………何だか日本の興行をアメリカでやる、もしくはアメリカの興行枠を日本が買っているだけの様に感じる。

需要があってアメリカで試合をしたのはスーパーフライのイベント以外では三浦位ではなかろうか?

亀海はコットと闘い夢を見せてくれたけどランキング操作がなぁ………。

長くなったので続く。