かつて世界タイトルは1つだった?② | ボクシングライフW

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趣味と言うよりライフワークになっているボクシングについてとりとめもなく感じたままに

前回の続き。

1920年代後半から1930年代前半にバンタム級最強の評価を享受したパナマ・アル・ブラウン。

ではブラウンの戦績表を見てみよう。
ブラウンの日本における戦績表は下記の通り↓

ノンタイトルを挟みながら世界バンタム級王座を順調に防衛している。どうでもいいが1932年が1923年と誤植されているので注意。

しかし、である。

世界最大のボクシングサイト、BOXRECでパナマ・アル・ブラウンの上記と同時期の戦績を見てみよう↓

違いがお分かりだろうか?

細かくチェックしている人は少ないと思うので結論を書くと、日本では「世界バンタム級タイトル」としか標記していない。

だが海外版をよく見ると「IBU世界バンタム級タイトル」と「NBA(全米ボクシング協会→後のWBA)世界バンタム級タイトル」の2つの世界タイトルを交互に防衛しているのだ。

つまりパナマ・アル・ブラウンはNBA.IBU統一世界バンタム級王者。

更にパナマ・アル・ブラウンにはカナダ公認世界バンタム級王者であるピート・サンストルという対抗王者がいた時期もあった。

1920年代、1930年代には既に世界タイトルは2つ、3つ存在していたのだ。

ヨーロッパ中心のIBU、アメリカ中心のNBA。更にNBAに加盟しなかったニューヨーク州公認世界王者。
この3タイトルの権威が大きかった。

他にもイギリス公認、オーストラリア公認、ヨーロッパ公認、アメリカ公認等の世界王者もいた。この王座は今のマイナータイトルとは違い、れっきとした世界王者として扱われた。

ただし、現代とは違いIBU世界王者や各コミッション認定世界王者は常に存在していた訳ではない。

世界王者に相応しい実力者が現れた時に王座決定戦を行い勝者を世界王者として認定し、防衛戦も行われた。

今とは感覚が違うが、この方がレベルの高い世界戦を世間様に提供出来ていたかもしれない。

転機は皮肉にも人類最大の悲劇、第二次世界大戦。
これにより傷付いたヨーロッパは戦後、世界タイトルの公認どころではなく、IBUは世界タイトルの認定を止め、EBUと名を変え欧州王者の認定団体に規模を縮小した。

読者様がマニアック過ぎて付いて来れるのか心配になってきたが………更に続く。