「渡したいモノがあるので私に部屋にどうぞ。」
そう言って広い屋敷の階段を上がるなつみの後を付いて歩く。
扉を開けると別の世界に連れてこられたような錯覚を起こす。
フローリングの部屋の中央にグランドピアノが置いてある。
「俺の部屋が犬小屋に思える。」
剛の言葉にうなずく。
なつみの部屋入るのは初めてだった。
家に来たのもこの日が初めてなのだから・・。
「なつみ、今日も何か聴かせてくれよ。」
翔平はそう言った。
「何にしようかな~?」
そしてリストの『ラ・カンパネラ』を選んだ。
聞き覚えのあるこの曲・・でも名前がスッとは出てこない。
音楽の授業で遠い昔聞いたことがるような・・テレビCMで聞いたような・・そんな曖昧な感じだった。
でも、なつみがフランスに行く前よりも良い弾き手になっていることはわかった。
向こうでなつみのピアノを変えるような何かあったのだろうか。
それは一体何なんだろう?
なつみのことは大体わかっているつもりだった。
他の誰よりも・・。
でもそれは一年も前のことで、フランスにいるなつみと話したことは一度もないのだ。
翔平となつみ。
二人共通の時計は止まっている。
別々の場所でそれぞれに時を刻んだ。
好きだと言えなかったあの日。
翔平は生まれて初めて味わう感情。
なつみの向こう側にいる誰ともわからない誰かに嫉妬している。
ピアノの音で感じる、なつみが一人で歩き始めたこと。
時間の流れの中でピアノを弾いているのではなく、聴いてくれる、聴かせたい誰かのために弾いているということを。
その時、剛が言った。
「なつみ、ピアノ上手くなったな。
向こうで生活しているなつみの姿が頭の中に浮かんでくるよ。
学校行って友達と話しているところや、買い物を楽しんでいたり部屋の窓から外を見ている姿とか・・。
四人との別れと引き換えになつみが手にしたモノは、普通の生活だった。
けれど、それがずっと欲しかったのだ。
剛にそれが見えたとしたら、なつみは見つけたのだろう、自分の居場所を・・。