麻衣の近くにいた人は、悲しみから少しずつ立ち直り、進むべき道を歩き始めていた。


大切なモノを抱いて生きることの本当の意味を考えながら、それぞれの思いを胸に秘めて。




家の庭に植えてある桜の木に愛らしい花が咲き始めた。


涼介が生まれた年に祖父母が贈ってくれたものだ。


二人の子供が幼い頃は家族揃って賑やかに花見をしたものだ。


いつの頃からか涼介が抜け、麻衣が抜けて、最近は父と母二人が静かに花を見る程度になっていた。


何年振りかで三人は桜の木の下で花見をしていた。


両親の楽しそうな顔がそこにあった。


涼介に欠けてたモノ・・心を見せること?


思いやりの気持ちを持っていても、どう表に出したらよいのかがわからなかった。


心で感謝していても言葉が出なかった。


どうしても言えなかったことが自然と口にできるようになっていた。


涼介は、ありのままの自分で目の前にある道を進んでいる。




章吾は毎日を手話の講習と童話の製作に使っていた。


手話の方は、随分と上達した。


でも、まだまだ、もっともっと、と上を目指して頑張っている。


こんな風に過ごしている時間がとても好きだった。


誰かのためというより、自分のためだと思っている。


童話を少しずつ書いている。


こちらの方はもう少し時間がかかりそうだ。


毎日がドタバタと忙しくて、一日がアッと言う間に過ぎる。


身体の疲れは十分な睡眠で乗り切れる。


精神的な疲れをあまり感じない。


ダラダラと過ごしていた頃の方が苦しかった。


遥との恋愛も、麻衣に対するあこがれの気持ちも章吾の心を満たした。


今は将来の夢と希望が心をいっぱいにしている。


こういう状態を『幸せ』と呼ぶのだろうか。


何かで心がいっぱいになる。


一生懸命になれるモノがある。


だから進んでいける。


『走れなきゃ歩けばいいんだ』麻衣のCDの中に入っていた詩を思い出す。


自分の書く童話が、今どの程度なのかよくわからない。


『才能なんてありませんよ』誰かにそう言われるのが怖いから、どこにも誰にも見せられないのだ。


だけど章吾は心を決めた。


応募してみることにした。


今回ダメでもまた書けばいい。


自分の心を動かす出来事と向かい合った時、またきっと書きたくなる。


その時まで、ゆっくり歩けばいい。


本当に書きたいと思ったものにありったけの思いを込めて。


『虹の向こう側』そう名付けられた章吾の童話は彼自身の手でポストに投函された。




                                       終り