「久しぶりだな。
オマエの主人は死んでしまったんだぞ。
ゴメン、俺のせいで・・。」
シートに座ってハンドルを握るとまた目の奥が熱くなり視界がぼやけてくる。
エンジンをかけると、あの頃と変わらない音が耳に響く。
覚えている、この身体が・・。
ゆっくりとアクセルを踏み車は動き始めた。
道は予想していたよりもずっと少なくて思っていたよりも早く到着した。
ここで星を見ていたのか・・。
「暗闇を怖いと思っていた。
そう、ずっと昔・・幼い頃。
だけどね、いつの頃からか暗闇に自分の身を置いておかないと深く息が出来なくなっていた。」
麻衣がドイツで言ったことを思い出した。
俺はアイツが羨ましかったと言ったが、麻衣は麻衣で苦しみ、もがいていたもかもしれない。
中学生の頃から、ずっとアイツは笑っていた。
人前で涙を見せたことが無い。
両親に対しても、俺に対しても、きっと仲間の前でも・・。
一人で抱え込んでいたんだな。
部屋の明かりを消してベランダから空を見上げていることがよくあった。
間もなく静かな音楽とともに星は姿を現した。
雨の日に星を見ているような、何とも不思議な経験をした。
同じモノを三度くらいは見たような気がしていた。
ちょうどその時、左斜め前の席に座っている青年の膝の上に一冊の本があった。
『ミュンヘンから』本の帯には、『草野麻衣遺作 彼女があなたに贈る最後のメッセージとは??』とある。
涼介はじっと見つめていた。
彼の異常な視線に気が付いた章吾は、姿勢を直す振りをして視線の方に目を向ける。
自分と同じファンだと単純に思った。
が、その普通ではない彼の様子に驚いた。
涙が頬を流れている。
この分だと、ここに来てからずっとだろう。
彼女の死をこれほど悲しんでいる人がいる。
もう三か月が過ぎると言うのに・・。
時間の長さが悲しみの深さと関わりがあるとは思わないが、たいていの人は、そろそろ自分の元の生活のペースを取り戻していても良い頃のように思われた。
誰だろうか?
単純な疑問だった。
その時、彼は諦めたように席を立ち外に向かって歩き始めた。
何を思ったか、章吾は後を付けていた。
地下の駐車場に見慣れた車がある。
彼は、そのドアに手をかけた。
章吾は思わず声をかけた。
「その車は、草野さんの・・。」
「えっ、そうですけど・・、あなたは?
僕は麻衣の兄で、草野涼介と言います。」
「駒沢 章吾です。
草野さんのファンです。
星、お好きなのですか?」
「いえ、妹がプラネタリウムによく言っていたと聞いていたので、何となく・・。」
「僕は、草野さんに出会えたから、今こうして自分の道を歩いていられるような気がしています。
これから時間ありますか?
もし良かったら海を見に行きませんか?」
章吾は涼介に会ったことを不思議に思っていた。
偶然なんてことがこんなにもあるなんて、巡り合わせってすごい・・と。
車が静かに動き出す。
「この車に乗せてもらった日のことを今でも僕ははっきりと覚えています。
ドライブに行くと言う草野さんに無理を言って付いて行きました。
その時から僕は少しずつ歩き始めました。
大好きだった彼女の死をやっと受け止めることができました。
彼女がいたあの場所に留まっている意味があったわけではないけれど、歩き出すことを拒んでいました。」
「麻衣は、キミに何か言いましたか?」
「いえ、何も・・。
砂浜に座って海を見ている草野さんを僕は黙って見ていました。
声をかけられるような雰囲気ではありませんでしたから。」
「麻衣は昔からそうでした。
みんなと一緒の時は明るくて華やかなのです。
だけど、一人になった時、どうしょうもなく悲しそうな顔をしている瞬間があるんです。
そして僕が、
『どうかしたか?』と聞くと
『なんでもないよ』そう言って笑って見せた。
もう、随分前のことなんですけどね。
『ミュンヘンから』を書き上げた時のあの満足そうな顔が忘れられません。
原稿を読んで僕は思いました、これで少しはラクに生きられるだろう・・と。
誰だって、いろんなところで妥協して生きているところがあるでしょ。
麻衣にはそれが無い、それをその時初めて知りました。
これから先、もっといろんなモノが書けたはずなのに・・。
僕が麻衣をドイツに引き留めたんだ。
日本で書きあげるというアイツに、『最後まで頑張れよ』って。
あの時、帰国していれば今もコイツを走らせているかもしれないのに・・。」
「草野さんは自分の意志で残ることを決めたのだと思います。
いつも自分の進む道を選びながら生きてきたことが彼女を支えていたみたいなところがありましたから。
彼女の全部を知っているわけではありませんが・・。
生意気なことを言ってすみません。。
ここです。」
章吾そう言われて車を止めた。
「すまないが、一人にしてくれるかな・・。」
「はい。」
涼介は砂浜に向かって一人で歩き始めた。
章吾は『Primrose』の扉を開けた。