「悦ちゃん。」


尚は悦子の会社を訪ねていた。


「山村さん、どうしましたか?


こんなところまで。」


「麻衣がいないんだけど、行き先を知ってるなら教えて欲しいんだけど。


もう三か月以上姿を見てないんだ。」


こんなに会わないことは今まで無かった。


美緒と暮らしていても一か月に一度くらいはマンションに戻って、麻衣と食事をし、仕事が忙しいとか何とか言い訳をしていた。


携帯電話も繋がらない。


マンションには戻っていない様子。


出版社に聞いても行き先を知らないと言われた。


「子供じゃあるまいし、麻衣だって旅行ぐらいするんじゃないですか?」


悦子は冷たく言った。


悦子は行き先を知っていたし、もうしばらくしたら戻ってくることも知っているのだから余裕がある。


それに、尚に対して少しぐらい意地悪をしてもいいじゃないかという気持ちもあった。


「車は駐車場にあるし・・、アイツはどこに行くのにも大体車だったのに・・。」


「車で行けない遠くにでも行ったんじゃないですか?」


いつも手を伸ばせばそこに麻衣はいた。


それが当たり前だと思っていた。


麻衣、オマエは離れていても俺を感じるとこが出来ると言った。


だけど俺は・・、オマエを感じることが出来ない。


オマエと俺のどこがそんなに違うと言うんだ?


仕事を終えると張りつめていた緊張の糸が切れる。


どこへ行く当てもなく尚は海辺のあのカフェにやって来た。


「いらっしゃい。」


「なんだか疲れました。


麻衣が居なくなりました。


探しても探してもどこにも居ない。


俺は大事なモノを失くしてしまったようです。


麻衣のように俺は強くなんかない。」


尚は心から自分がちっぽけな人間だと思っていた。


フラフラした気持ちもそう、このグズグズした心もそう。


俺って何なんだ?


こんな俺を麻衣は好きになったのか?


俺だったら絶対嫌だ。


優しいところが好き、面白いところが好き。


自分の彼氏を自慢するとき、決まってこんな言葉が飛び交う。


俺の何が良くて、オマエは俺を選んだのか?


今の尚は自信を失くしていた。


前は自分という人間に自信があった。


頭の中は自分勝手な明るい未来でいっぱいだった。


朝目覚めると新しいエネルギーが身体の中を駆けるのを感じた。


それが、今は全く逆だ。


何が違う?


今までと何が違う?


麻衣がいない・・。


ただそれだけが違うだけ。


俺に麻衣が必要だったんだ。


「きっと戻ってきますよ。


彼女にも時間が必要なんでしょう。


いつかこう言ってました。


『私はいろんな荷物を持ち過ぎた・・。』ってね。」


「『荷物ですか』?」


そんな時、


「マスター、こんばんは。


あっ、山村さんも来てたんですね。」


「章吾、どうだ、童話を書いているそうだが・・。」


「はい。


まだ人に見せられるほどのモノは書いてないですけど、少しずつ・・。


そう言えば、草野さんはミュンヘンに行っているんですね。


今日発売の雑誌に載ってましたよ。」


「ドイツ?」


「あれ?


山村さん知らなかったんですか?


今度はドイツで書くつもりだとか・・。


来月には帰国するそうですよ。


楽しみですね。」


章吾の声は明るく元気だった。


今、章吾は生き生きとした瞳でこの世界を見つめていた。


やっと超えるべきものを超えたということだろう。


この先にもまた新しい何かはきっと待っている。


けれど向かって行ける自信があった。


それは歩き始めることを決めたから。


「マスター、僕は草野さんと出会えたことも、この場所を知ったことも本当に偶然でした。


人生なんて、思い通りに行かなくて、すぐそこにある大事なことに気が付かなくて・・、それでも進んで行くと自然に見えてくる。


どちらかを選ばないといけない分かれ道に立った時、あれこれ考えて迷って、どちらか一つを歩いて行く。


時には別の道の方がラクそうだったり、楽しそうに見えたりもするかもしれない。


それでも、そっちに戻ることはできない。


自分を信じて進むしかない。


そう考えるようになりました。」


「章吾、少し大人になったみたいだな。」


マスターはまるで自分の息子の成長を喜んでいる父親のような穏やかで深い愛情のこもった笑みを浮かべた。


「僕は思いました。


ここに遥の夢の世界があるなら、僕には帰る場所がある。。


そう思うと歩き始めることに対する恐怖が消えました。」


「そうか・・。」


尚は一人取り残された寂しさに襲われた。