麻衣がやって来て何度か目の日曜日の朝、涼介が言った。
「今日は休みだから、どこか行きたいところがあれば案内してやるぞ。」
麻衣は少しだけ考えて言った。
「プラネタリウム。」
「わかった。
準備するから、お前も。
星、好きだったか?」
「最近、知り合った友達が教えてくれたんだ。」
「麻衣、アイツとはどうなってる?」
「・・・。」
「まあいい。
答えたくないなら無理には聞かないけど、母さんは心配してたぞ。」
「涼兄こそ、良い人いないの?」
「俺か?
今は仕事で精一杯だ。」
「付き合ってる人もいないの?」
「いるよ。
でも、結婚を考えてるわけじゃない。
無責任な言い方かも知れないけど、『結婚』って相手の人生も背負うことだと思うんだ。
今の俺は、そんな自信がない。」
その『自信』が持てるのはいつなのか、その日はやって来るのか。
永遠に来ないかもしれない、涼介はそう思っていた。
「そうなの?
でも、もう三十一だよ。
そろそろ考えた方がいいんじゃないの?
母さんも気にしていたし・・。
相手の女の人は涼兄のそんな気持ち知ってるの?」
「・・・。
麻衣、小説書けてるか?
俺はオマエが書いたモノを一冊も読んだことが無いんだ。
母さんは新しいのが出る度にこうやって送ってきてくれるけど、何となく照れくさくって、この通り部屋のアクセサリーになってるよ。」
「私、次の物語はここで書きあげようと思ってるんだ。
新しい気持ちでこの仕事に向かいたいんだ。」
「やっぱり何かあったんだな。
今までの麻衣だったら何があっても、アイツの傍を離れたりしなかっただろうから。
二人には他人にはわからないことがあって当然だ。
これ以上ダメだと思ったら別れるのも一つの手だ。」
「涼兄、彼と知り合ったことも、付き合ったことも、今別れたことも、私は後悔してないの。
今こうしてここにいることもね。」
「それなら俺がどうこう言うことじゃないしな。」
麻衣の心の整理はついていた。
仕方なく尚と別れたわけじゃない。
選んで決めたことだ。
彼と書くことを比べていたわけでも無い。
この道を選んだことでお互いに傷が増えたのかもしれない。
その傷を愛しく思えるように生きて行きたい、消えてなくなって欲しいとは思わなかった。
涼介と麻衣、これまで一度も恋愛観を話したことは無かった。
涼介は麻衣が母親と話をしているのを聞いていることはあったが、自分から意見を口にしたことは無い。
二人の仲が悪かったわけではない。
時間がずれていることも手伝って何日も顔を合わせないこともあったし、挨拶以外の言葉を交わさないことも珍しいことではなかった。
「麻衣、出かけるぞ。」
「ちょっと待ってよ。」
「どれだけ待たせるんだよ。
何だっていいじゃないか。
相変わらずオマエの仕度には時間がかかるな。」
「・・・。」
ドイツに来て初めてのちゃんとした外出のための準備に時間がかかっていた。
日本から持ってきた洋服の枚数は決まっているのに、それでもあれこれと考えていた。
出発前の荷造りも大変だった。
母親は最後には呆れてしまって真剣に相談にのってくれなくなった。
「足りなければ向こうで買えばいいでしょ。
部屋で書いている時は何着てたっていいじゃないの。」と。
マンションと家を何度も往復して大きなスーツケースはいっぱいになった。
「お待たせ。
涼兄、この車は?」
「会社のだよ。」
「いいの?」
「まあな。」
「せっかくだけど・・、電車やバスに乗りたいんだ。」
「頼んで借りてきたのに。」
涼介は少しガッカリしたように言ったが、麻衣の言う通りにすることにした。
この土地の人の生活の様子を感じたかった。
言葉が話せればもっと楽しいだろうに、少し残念だ。
笑顔で交わす挨拶が気持ちいい。
兄がここを離れたがらない理由がうなづける。