尚は今走って来た道を引き返していた。


麻衣のいたあの場所に行くために・・。


あの時、感情のままにああ言ってしまったが、帰りながら考えるとやっぱりおかしい。


戻ってきたがもうそこに麻衣の姿は無い。


何気なく入ったカフェのカウンターにさっきの彼がいた。


「ここ、いいですか?」


尚は章吾に声をかける。


「ええ。


山村さん、引き返してきたんですね。」


安心したように言った。


「麻衣は?」


「草野さんだったら少し前に帰りましたよ。


山村さん、さっきのは誤解です。


僕は、あの人の書く小説のファンです。


あの人が妹のように思っていた遥と僕は付き合っていました。


このことは最近知ったことなんですけど。


あなたのこと、少しは知ってるんですよ。


事実かどうかは別として、週刊誌、読んでますから。


随分勝手な人ですね。


自分がしてることは許されて、相手のことをあんな言葉で罵るなんて・・。」


章吾は一気に言葉を吐き出す。


「キミは麻衣のことが好きなのか?」


「・・・。


草野さんと遥がなぜだか重なって見えるんです。


草野さんが遥のために書いた小説の舞台がここなのです。


ここに最初に来た時、懐かしく思ったのはそのせいですね。


草野さんを好きなんじゃなくて、僕はまだ遥を愛しているのだと思います。


遥の代わりになってくれる人を無意識にも探していたのかもしれません。


だけど、あの人はあなたを愛している、それが見えるんです。」


章吾はバイトの関係もあって女の人の扱いには良くも悪くも慣れていた。


だからもし・・麻衣に章吾とどうにかなってもいいという気持ちがあれば、気づかないはずがないのだ。


それを感じ取るくらい簡単なことだったのだ。


正直、麻衣も章吾の気持ちと似たモノを持っていた。


章吾に尚を重ねていた。


それでも麻衣は二人が違う人間だということをわかっていた。


麻衣が大人だったということと、尚が麻衣にとって他の誰とも代ることのできない存在だったということだ。


「これからどうするつもりですか?」


マスターは静かに尚に問いかける。


「どうすればいいのでしょうね。


僕たち二人は今までずっと手を繋いで歩いてきました。


僕の後ろを彼女が付いてくるとか、彼女を僕が追いかけるとかいうのではなくて・・。


別々の何かを求めながらも並んで歩いてきました。


一人で生きて行く強さを持ちたかったわけじゃない、誰かに寄りかかって生きることはしたくないと二人で話しながら歩いてきたのです。」


「今の彼女に何を言ってもダメだと思います。


だからと言って絶望的だと言ってるのではありませんよ。


彼女があなたを遠くから見ていようと思っているように、あなたも少し離れたところか見守ることができるのなら、望みはあると思いますよ。」


「そうでしょうか?


こんな僕とこれから先も付き合っていくことが麻衣のためになるのでしょうか?」


「あなたは大事なところを間違ってます。


彼女の傍にいるのは彼女のためですか?


そうだとしたら、これ以上彼女に拘って欲しくありません。」


静かに、はっきりと厳しい言葉を投げかける。


「あなたにそこまで言われる筋合いはない。」


感情的に乱暴に言い返す。


「小説家、草野麻衣の一ファンとして言わせてもらいます。


彼女があなたと一緒にいたのは、彼女にとってあなたが必要だったからです。


あなたも同じ思いだと私は思っていたのですが・・。


麻衣さんはこのことをちゃんと知っている。


だから、こうすることを選んだのですよ。」


マスターは麻衣の小説を何度も繰り返し読む。


読み返すたびに込み上げてくるモノがある。


彼女の素顔が見える。


どんなモノを書いていても彼女の気持ちを想像することができる。


「あなたは彼女の話のどこをどう読んでいるのですか?」


尚にとって痛い一発だ。


読んでいなかったなんて今言える状況では無い。


マスターは、たまにやって来る麻衣を静かに見守ってきた。


一人のファンとして。


麻衣の頭の中に何があるのかも勿論知らないわけだし、それを聞くつもりもなかった。


自分が立ち入る場所ではないことを知っていたから。


ここに何かを求めてやって来る人たちに自分が出来ることといえば、こうして毎日店を開け待っていることだけだと思っている。


麻衣に対しても同じだ。


もう何年も通っているけど、交わした言葉はあいさつ程度の会話だけだった。


それで十分だった。


それなのに、どうして今こんなに熱くなって語っているのだろう。


彼自身が一番不思議に思っていた。


「ちょっと・・。」


マスターは入り口の扉に『CLOSE』の札を出した。


夏の夜ともなれば海辺は恋人たちで賑わっている。


それなのに・・、まだ時間だってそう遅くないのに・・、閉めてしまった。


格好のイイ考え方を持っているのだと感心することもあれば、こんな気ままをやってしまうこともある。


何かを真面目に語る時は仕事だってあっさりと休んでしまう。


いつもでは困るが、本当にまれにこんなことがある。


「小説家、草野麻衣を知っている人間はこの日本にたくさんいるでしょう。


だけど、素の彼女を知っている人がどれだけいるでしょうか?


彼女の気持ちを一番理解しているのは多分あなただと思います。」


「あなたはどうして麻衣のことがそんなに・・。」