麻衣は、なぜだかすごく疲れた気がしていた。
美緒に会ったからだろうか。
今日は異常に蒸し暑い。
気温ももう少し上がりそうだ。
「あれ?
麻衣・・、こんなところで何してるの?」
「悦子。
あなたこそどうして?
休み?
休憩か。」
悦子は大学を卒業して旅行会社に就職した。
特別就きたい職業があったわけでもなく、どこかで働かなければ・・その程度の軽い気持ちだった。
こんなところも麻衣とよく似ていた。
何かになるために大学に行ったと言うのなら、もっとしっかり勉強もしたのだろうが、高校を出てすぐに働くのが嫌だったから進学した。
遥が欲しくて仕方がなかった『時間』を十分すぎるほど持ってはいたが、中身のある生活をしていたかと問われたら、きっと答えられない。
それでも六年も勤めているのだ、それなりにやりがいみたいなものも最近は少し感じていた。
後輩の教育係を任される年になったのかと複雑でもある。
「お昼、一緒にどう?」
悦子が誘った。
「いいよ。
もう帰ろうと思っていたところだったから。」
「じゃあ、行こうよ。
ねえ、遥のために書いてくれた小説があったでしょ。
あれ、もう無い??」
「どうして、今頃になって??」
「遥が付き合っていた彼がこの前、家にやって来ていろいろ聞くのよ。
書いた人は誰なのかとか、どこに居るのかとか・・。」
「それで?」
「私、麻衣のこと話したの。
今は小説家の草野 麻衣だって。
あの原稿のこと聞いてみるって言ったけど、やっぱり無理よね。」
「ゴメン。
あとは私が持ってるあの一部しかないんだ。
遥と私が一部ずつ。」
「そうだったよね。
ゴメン、同じことを何度も。」
「ううん。」
遥の周りのいろんな人が読んだ。
両親、悦子、医師、看護師、友人。
その誰もが気に入ったと言った。
何かに応募してはどうかという声もあった。
「これは遥のためだけに書いたモノだから。」
そう言った。
初めて書いたモノを褒められて嬉しかった。
それで十分だと麻衣は思った。
遥という女の子のことを覚えていてくれれば十分、この原稿は使命を果たす。
「これから先でもしも私が物語を書くようなことがあったら、その時、応援してください。」
そう言った。
それからしばらくして麻衣は本格的に書きはじめた。
章吾君に知れちゃったのか。
きっと怒ってるだろうな、黙っていたこと。
だけど、あの状況じゃ言えないよね、自分に言った。
隠すことでもないけど、私だと言わなければならないほどのことでもない。
麻衣の足はプラネタリュウムに向かっていた。
今日という日は、どうなっているのだろう。
いろんなことがあり過ぎる。
気持ちが静まらない。
これでもか、これでもか・・というように次々と押し寄せてくる。
外の生ぬるい空気がウソのように中はひんやりとしている。
肌のジトジトした感覚が少しずつ消えていくのがわかる。
客はと言えば、あっちに一人、こっちに二人、そんな風でガラガラだった。
そんな客の中に麻衣は章吾の姿を見つけていた。
だけど近くに行くことはせず、離れた席に座った。
星の上映が終わってもしばらく麻衣は動けなかった。
何気なく見上げたその時、章吾がいた。
「草野さん、どうしましたか?
初めて僕がここに案内してきた時と同じ顔をしていますよ。」
「そうかな。
いろいろあってね。
終わってたんだね。
もう一度みていこうかな。
ここは暗くて静かでいい所だね。」
「草野さん、遥のこと知ってたんですね。
この前、彼女の家に行ってきました。」
「そう。
隠すつもりはなかったんだけど、何となく言えなかったんだ。」
「あっ、もう行かなきゃ。」
章吾は時計を見た。
「バイト?」
「はい。
僕のバイト先の女の子が失礼なことを言ったそうですね。
すみませんでした。」
「いいのよ。
そんなこと。」
「でも・・、ああ今日も休もうかな。
せっかく草野さんに会えたんだし・・。」
「おかしな人ね。
そんなことで休まれたんじゃ雇い主も迷惑するよ。」
章吾は、TシャツにGパン。
その辺にいる若い普通の男の子だ。
それでもやっぱりカッコイイ。
こんな普段着でも整った顔立ちと背の高さで目立つ。
きっとお店でカウンターに立つと見違えるほどの紳士になるだろう、そう思った。
「そうですね。
でも・・。」
僕たちはいつもそう、ここで偶然会う以外に会う方法がない。
約束をして待ち合わせるわけでもなく、連絡先を知っているわけでもない。
変な関係だ・・、こんな風な意味のことを言いたかったのだ。
「私も帰るわ。
何時間ここに座っていても星なんて見られそうにないから。
送るよ、車だから。」
「いえ、地下鉄で行きます。」
「そう、じゃあそこまで一緒に。」
ビルを出て横断歩道で信号が変わるのを待っていた二人に声をかけてきた男性。
「やあ、麻衣、俺だよ。」
「えっ、慎二?」
「そうだよ。
オマエ、元気だったか?」
「元気よ。
久しぶりだね、どれくらい振り?」
「そうだな・・。
こんなところじゃなくて、そこにでも入らないか?」
「うん。」
「僕は行かなきゃ。
それじゃあ。」
今、初めて会った慎二に対しても軽く頭を下げ、青になった横断歩道を駆けて行った。
(あの人は誰だろう。
あんなに親しそうに、そして彼女の顔が一瞬でパッと明るくなった。
何年か過ぎてもスッっと気軽に声をかけられる、昔の仲間か?)
章吾は店に行くまでの間、同じことばかり考えていた。
(アイツは誰なんだ。)
「ちょっと、何考えてるのよ。
ちゃんと仕事しなさいよ。」
「ゴメン、ゴメン。」
「もしかして、あの小説家のこと?」
「・・・、絡むなよ。」
女の子たちとのくだらない話にも最近は慣れてきていた。
特別機嫌を取らなくたって、彼女たちは会いに来た。
本当のところどちらが客なのかわからない。
どうしても稼がなければならない仕事ではなかった。
時間が潰れればそれでよかった。
(逃げてばかりいてはダメだ。
そろそろ向かい合ってもいい頃なのかもしれない。
『どう生きるか』ということに対して・・。)