自分の名前を活かすといういうことは、
夏目漱石の「夢十夜」の第六話。
運慶のお話のようなことだと思っています。
自分が持っているものを活かす事が大切であって、
持っていないものを求めても、
上手く掘り当てることは、出来ないのです。
自分が、どんな才能を持っているかを、
知って、それを活用することが大切です。
運慶は、運慶の才能を活かしました。
東大寺金剛力士像
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●夏目漱石「夢十夜」 第六話より抜粋
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運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の山門で
仁王(におう)を刻んでいると云う評判だから、
散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、
しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。
~中略~
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、
思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と
自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。
するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、
鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだから
けっして間違うはずはない」と云った。
~中略~
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。
はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。
それで急に自分も仁王が彫(ほ)ってみたくなったから
見物をやめてさっそく家(うち)へ帰った。
道具箱から鑿(のみ)と金槌(かなづち)を持ち出して、
裏へ出て見ると、せんだっての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、
薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた
手頃な奴(やつ)が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫(ほ)り始めて見たが、
不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く
掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。
自分は積んである薪を片(かた)っ端(ぱし)から彫って見たが、
どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。
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ここまで↑
ちなみに、
>不幸にして、仁王は見当らなかった
わけではなく、
彼には、彫刻の才能がなかったのだと思います。
それより他に、得意なことがあるのだと思います。
ちなみに、
名前のことだまで紐解く、
「運慶」の使命は、
計画性を持って、物事に取り組んでいく人。
派手なことよりも、
日常生活の大切さを教えていく役割で、
人の心に、浄化の力や、やる気を与え、
次のステージにステップアップさせていく人です。