上遠野 浩平さん著書
小説
ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」 より
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「うーん、そうねえ・・・じゃあ”匣(はこ)”の話はどうかな」
「匣?神話とかの話?」
「うん。あらゆる罪悪と不幸を閉じ込めておいたという、そういう匣の話」
「ああ、聞いたことある。少女に与えられたけど、好奇心から開けてしまって
結局台無しとかいうやつだろ」
「そう、それ。あれって、あわてて閉じたら最後に残っていたのが---」
「”希望”だったってんだろ」
「ヘンだと思わない?どうして、不幸や罪悪が詰まっていた匣
に希望なんかが一緒に入っているの」
「ふむ、確かに」
「ここも、なんていうのかな---わかりやすい解釈の方が広まっちゃって
本質が誤解されてるってパターンなのよね」
「じゃあ、最後に残っていた不幸ってのは、いったいなんだったんだ?」
「”未来”よ」
「----は?」
「もっと正確に言うと、予感とか前兆とか言った方がいいかもね・・・
要するに、これから何が起こるのか全部わかってしまうという、
そういう不幸」
「・・・不幸なのかな、それって」
「だって---全部わかっちゃうのよ。辛いことが待っていることも、
悲しい別れのことも、何もかもすべて見えてしまったら、
きっと人ってもう生きていくことができないと思うわ」
「・・・・・」
「でも、未来だけは閉じこめられて、かろうじて人々は
”将来はきっといいことがある”
という希望だけは失わずにいられている、っていう-----まあ、そういう話」
「-----なるほどね」
「その匣を与えられた少女の名前はパンドラ----
これは”すべてを与えられたもの”という意味---」
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これは、小説の中のお話で、
ギリシャ神話のパンドラの箱の話からきています。
ちなみに、日本人がむかしから使っていた
やまとことばでは、希望は、「のぞみ」と表現します。
「のぞみ」と「希望」がイコールだということ。
「のぞみ」を持つことは、
「希望」を持つことだという解釈に、
なんだか救われます。