多くの人は、「神」という存在がいてもいなくても、別段人間の生活に大きな影響を及ぼさないと考えています。
それは今になってのことでもないし、昔もそうだった。そして、これからもそうだ・・・このように考えるので、神様の存在に対して無関心であるし、そもそも存在自体を「感じる」ことができないので、考えても無駄。これが人間なのだ。これがごく自然な姿なのだと主張したりするのです。
また、「神」を持ち出すとそれは「宗教」になるといって、生理的に嫌う人もいらっしゃいます。日本人の場合は特に宗教に対するイメージが本当によくありません。
1990年代、いくつかの宗教団体が様々な問題を起こしたことで、マスコミが連日過剰な報道をしたことから、一時は日本国民全体が宗教アレルギーになった時代もありました。
そして2000年代に入り、私たちは高度に発達した科学万能主義となっています。次々に新しい技術革新がなされ、人々はその新しいテクノロジーから受ける刺激に酔っているような状態です。
しかし、いくら科学技術の進歩が目覚ましくとも、「人間とは何か」といった本質的な問いをはじめとして、心の諸問題に対しては完全に解決されてはおりません。今度はより高度な科学力を用いて人間の精神の未解決問題にチャレンジしようとする試みも活発に行われている最中です。
宇宙の歴史もかなり詳しくわかるようになってきた今日において、より根源的な存在に対する究明もさらに人々が身近に考えるようになってくると思います。
この世界が意図的に想像された世界なのか、それとも偶然の産物なのか
この決着をつけたいと考えている人も少なくないでしょう。
実は、今高度に発達したコンピューターによって作り上げられたロボットが人間生活の中にかなり入りこんでくるようになってきています。
善なる方向にのみそれらの技術が進歩していると良いのですが、一方では本格的に戦争の道具に使う動きも見せています。SF映画さながらの場面が現実化されつつあるのです。
そうなってくると、生命倫理という問題をより真剣に考えなければ、ややもすると人類は自ら自分の首を絞める結果になりかねない状況におちいるでしょう。
ところが、神様は確かにいらっしゃると確信をしている人でも、どうしてもそうなれない人たちから
「じゃあ、なんで人間は神様がわからなくなったのさ」
といった類の質問に明確に答えを出すことができずにいます。
もしも、神様から人間が離れてしまった理由がはっきりとわかったなら
逆に神様をはっきりと知る手立てを見つけることが可能になるかもしれないのです。
ですから、この素朴な疑問に対して、真実がどこにあるのか探究する価値があります。
人はどうして神様の存在がわからなくなってしまったのでしょうか?
様々な宗教がこの問いに対して答えを出してはいますが、それを信者たちが「信じている」のであって、科学的、論理的、そして哲学的真の解答には至っていないというのが現状です。
そこで、この問題を深く掘り下げながら、最終的に一つの結論を出していきたいと思います。
次回からこの重大なテーマを扱います。