神様は何をお考えなのか | 神様は生きていらっしゃる

神様は生きていらっしゃる

人の生き方を左右する根本問題に触れていきます。

神 という存在がこの宇宙万物を創造され、人間を生み出したのであれば、

創造者と我々はどのような関係になっているのでしょうか


お互いに喜怒哀楽を感じる感情をもちあわせており

産んだ、生まれたという関係にあるのならば、

それは人間生活に当てはめて見ると、

親と子という関係になります。


かのイエス・キリストは神を「我が父よ」と呼ばれました。

イエス様の心の中には神を無機質という存在ではなく

明らかに生きておおられ、しかも情的にみずからの父親として感ずる事のできる心情を

持ちあわせていた事がわかります。


親子は人間の家庭における基本となっていますが、

創造主なる神様と私達人間の関係もこの「親子」であるなら、

神様の人類を見る目は

親の目で子供を見ていることになります。


親子の関係は高等動物になればなるほど、明確に愛情の関係が生まれてきています。

人間の間の親子の絆が深く尊いものであるのならば

神と人間の間の関係においても

もっと深淵で尊いものであるとみて良いのではないでしょうか。


ところが

人間社会においては

親子の間に愛情がなければ、生物学的に産んだ生まれたとしかない関係なってしまいます。

また、別に実際お腹からうまれてこなくても、愛情深く育てられると

その人を親として「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶようになります。


創造主であり、生みの親でもある神様と我々との間に愛情の関係が成立しないと

子供は親として認めないことになるでしょう。


そういう観点からみれば、

今人類は親なる神様とは断絶状態にあるということになります。


人間社会において、例えば親が育児放棄をし、孤児院に預けたとします。

子供が大きくなって自分の生みの親がいったいだれなのか、

なぜ育児放棄したのか、知りたくなります。

自分のルーツはいったいなんなのかということです。


それまでの辛い思いが先行して

自分が惨めな姿になったのは親のせいだと、生んだ親を恨みさえします。


しかし、もし育児放棄したその親が、言うに言えない事情を抱え、

子供の将来を案じ泣く泣く孤児院に預けたこと、

その後もたびたび遠くから子供の成長を伺っていたことなど

親の事情を知ったのならば

その子供はどの様な気持ちを抱くでしょうか?


実に私達人類は神様の本当の事情を知らないで生きています。

知らなくても平気で生きていくことができています。

親の気持ちを知らずに・・・。


でも親は変わらず私達の幸せを考え、愛情を注いでいるということ。

神の愛とは、与える愛、けっして見返りを要求したりはしません。

常に与え続けておられます。


私達がよく「感謝することが大切」と言う言葉を耳にしますが

感謝は一番に神様に対して捧げる言葉。

神様の降り注ぐ愛に感謝することこそ、

そこに愛の関係が築かれていきます。


だから、神様にありがとう、感謝しますとこころから

愛を返していくならば、

神様の心はそれだけで心情が満たされて逝くに違いないのです。


神様の愛は形となって我々の視界にあふれています。

それは「自然界」をとおして

この澄んだ空気

青い空

美しい花々

空飛ぶ鳥

地をはうケモノ達

豊富な食料

ありとあらゆる物が

我々の生活を豊かにしてくれています。

そして

人間の体。

実に素晴らしい絶妙の身体バランスで、健康が維持されています。


感謝ですよね。

この言い知れない、心の底から溢れる思いを創造主に投げかけるなら

愛の手を伸ばし、最高の幸せの環境へ私達を誘ってくれるでしょう。


神様は我々の親です。