そんなこんなで、慌ただしくも前期が終わりました。その頃、僕は前期で山岳部も辞め、バイトも辞め、イタリア語4単位を落として、仮免も落ち、若干病んでました。


……京大、辛いかも、、、


英語の授業も、前期にTOEFLを受け忘れたせいで(4回サボった)、後期の英語は受けれなくなりました。(必修だった!)



それで、実家で親に「留年するかもしれん。京大辞めたーい」って冗談で言ってたら、母親が「仮面浪人なら留年してもカッコ悪くならないよwww」って言ってきたんです。

うちの母親、たまに凄い発想をするんですよね。

え!そっちの発想は無かった!!みたいな。


それに、関心ごとが一つ見つかったんです。

それは学習会ボランティアの子供達と触れ合ってる時でした。


「不登校の子供達が幸せに生きる条件を整えたい」


このまま京大に進んだら、2年生のコース選択を経て作業療法士になると思う。

作業療法士も素晴らしい職業だが、精神科医になった方ができることの幅は大きく広がる。どうしたらいいんだろう?


ここで、僕は精神科医もやってる人健の教授にアポを取って、進路相談をしました。

「君は精神科医になって方がいいかもね」

その言葉で決断しました。


それで、久しぶりに受験勉強を始めてみたら、これがまぁ〜解けないんですよ。


英単語は全然分かんないし、無機化学は半分くらい抜けてるし、物理はチンプンカンプン、数学に至っては平均値の定理すらあやふやでした。


でもね、凄い楽しかったです。

みんながしてない勉強を1人だけしてる気分でした。

現役の時は、教室でみんなが争うように同じ勉強をしてたんですよ。でも、今は大学で高校の勉強してるやつなんて当然、1人もいないわけです。


それに、一度やったことがある勉強なので、覚えるのが速いし、あとどれくらいの勉強でこのくらいまで点数が取れるな、とかがわかるんですよ。凄いペースで覚えてましたね。


さらに、周りのみんながすごい応援してくれました。特に、京大に行った高校メンや人健フレンズは本当に応援してくれました。

「なおき、わからないとこあったらいつでも言えよ」ってみんなが言ってくれてました。


わからない問題があったら、すぐに友達に聞いてました。これは高校の時はできなかったです。だって、その友達も勉強してましたから。

つまり、僕は無料で大量の家庭教師を持ってたわけです。しかも、レベルはかなり高め。

京大医学部医学科×1、京大工学部×2、京大人健×7、名大医学部×3、京都府立医科大学医学科×1。さらに、難しい問題は、大学教授に聞いてました。

驚いたことに、大学教授って再受験とか凄い応援してくれましたね。というか、入試あるから定期試験ずらしてって頼んだら、レポートで単位認めてあげるって言ってくれた教授もいました。


そんなこんなで、応援してもらい、9月、10月は他のどの受験生にも負けないくらい勉強しました。

9月は1日9時間は物理と化学の重問をして、英語長文は1日に一題はやってました。

10月は、朝6時に起きて英語長文を解き、大学に行って授業中に内職で化学と物理の重問を解き、家に帰ってからは数学を解いてましたね。隙間時間はひたすら鉄壁をやってました。



僕は仮面浪人には珍しく、大学の単位ちゃんと取ってるんですよ。後期はなんなら、英語よりもフランス語を勉強したくらい大学の勉強を受けてました。

そんなこと出来るの?っていう疑問が湧くことでしょう。

それは、京大だから出来たんだと思います。

京大は全国トップの講座数があり、その中から受ける講座を選べます。だから、楽な講座を取りまくり、発表系の講座は初日とかに全部発表をし終えて、テストもほぼ無しの後期となりました。



けれども、勢いはずっと続くわけではありません。11月、やる気なくなっちゃったんですよね。と言うのも、人健の授業が意外と面白くなってきて、京大に残りたいと思っちゃったんですよ。

そんなこんなで、11月と12月はまじで受験勉強していません。英単語帳を週一で見るくらいでした。


もちろん、遊び倒しました。

クリスマスイブは徹夜でカラオケして、コロナにかかり、正月はテレビを全部見ました。


12月から週3とかで、ラーメン屋のバイトしてました。

そして1月。ついにやってきました。

共通テストー!、、、、ではなく、後期試験です。1週間くらい毎日フランス語を勉強してましたね。英語なんてやってる場合じゃ無かったです。その結果2単位落としてしまいましたが、6単位回収できました。笑


そんなこんなで、後期試験が終わった頃には、共通テスト1週間前でした。

もーやる気はなかったです。親には、「京大でいいや」って言ってました。

と言うのもですね、後期試験の直後に、自治医科大の一次試験に落ちてたんですよ。


当時、僕の志望校は


①自治医科

②京府医

③大阪公立医学部

④滋賀医or京大に残る

⑤その他医学部


だったんですよ。自治医に落ちた時点で、もうどうでもよかったんですよね。受験勉強しんどいし。


それで、実家で「もう京大でいいやー」って言ってたらですね、また母親がこんなことを言ってきたんですよ。


「京大に残るなら、どっかの医学科に受かってからそれを辞退すればいいやん」


さすが、我が母親。

母親の教えで、「一兎を得ずとも、二兎を追う」と言う言葉があります。

普通は、二兎追うものは一兎を得ず、って言うはずなんですけど、うちの母親に言わせれば、


「とりあえず両方追った方が、失敗しても言い訳になるし、両方捕まえたら、片方捨てればいいんだから」


だそうです。