令和大相撲5年史 優勝争い分析① 優勝戦線異常あり | 三代目WEB桟敷

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  令和の優勝争い 

 

 

稀に見る下剋上が続いた令和初期の大相撲。象徴的なのが2年初場所、幕内最下位で4場所ぶりの再入幕だった徳勝龍の優勝。久しぶりの幕内勝ち越しを9日目に決めると、好調の平幕力士との対決を突き落としの連続で勝ち残り、14日目には平幕とはいえ上位常連の正代との首位対決も突き落としで制し、千秋楽は結びで取って大関を真っ向破って快挙達成。役力士との対戦が1番のみという批判もあったが、横綱不在で役力士にも好成績者がいなかったので、適当なストッパー役もいなかった。結局それから1年持たずに十両陥落。優勝経験者では大蛇山以来の最高位平幕に終わった。

 

12勝での優勝が続いたり、11勝の優勝があったりと印象だけでなく低レベル化しているのは明らかだが、改めてデータで比較してみよう。

 

 

 

  優勝成績 令和と平成

 

全勝は2度あったが、平均すると12.8勝。平成を通じて10%に満たなかった12勝3敗での優勝が40%を占めて最多に。2位が13勝2敗。この2つで約4分の3を占めた結果、平均13勝を割ってしまった。。平成期通算では13.6勝だから、これはかなりの低レベル、暴落と言える。

 

 

 

 

  5年毎の比較

 

平成元年〜5年

平幕優勝が4度もあり、戦国時代と謳われた時期を含み、全勝は元年秋の千代の富士のみ。

しかし平均は13.5勝と低くなかった。半数が14勝1敗。13勝2敗も多く、この2つで約95%。そりゃ平均13.5になる。低レベル化により平幕が抜け出したのではなく、平幕力士が優勝ラインを満たしてきたのだ。

 

平成6〜10年

貴乃花を中心にした稀に見る安定期で、最後の最後で琴錦が平幕優勝した以外は、全て横綱・大関の5人が賜杯を占めた。ただ、平均勝利数は13.5でわずかに前5年を下回り、平成で2番目に低かった。全勝も5回記録されたが、案外優勝ラインが下がることもあり、巴戦のほか4人、5人の決定戦も1度ずつ行われ、5人の時は24年ぶり2度目の11勝だった。

 

平成11〜15年

貴乃花が衰え、群雄割拠の時代。飛び抜けた存在がおらず、全勝が出なかった。14勝も減り、13勝の割合が他の年代と比べて飛び抜けて多かった。期間中最多優勝の武蔵丸が優勝決定後の千秋楽を尽く落としていたのも要因。平均13.1勝と最も低かった。

 

平成16〜20年


朝青龍全盛時代。ここから絶対王者が君臨する時代が続く。最も多かったのは13勝だが、8年途絶えていた全勝が7回も記録された。12勝が1度だけとなかなか優勝ラインが下がらないため、大関陣にチャンスは少なく横綱昇進は白鵬だけ。平均13.77勝のハイレベルだった。


 

平成21〜25年(1場所中止)

白鵬の時代になってさらにハイレベル化が進み、平均は驚異の14.14勝。13勝以下で優勝できたのはわずか6場所だけ。1度の12勝は旭天鵬と栃煌山で史上初の平幕決定戦、だが翌場所から日馬富士と白鵬で4場所連続全勝。63連勝中の4場所連続もあり、全勝は11場所を数えた。

 

平成26〜31年

白鵬は多少衰えたとはいえ平成最後の場所を全勝で飾り、大関豪栄道も1度で計6場所で全勝が記録された。14勝も半数近くを占めた。後半は高齢化した横綱の休場が目立ち、21年ぶりに11勝も出るなど荒れた展開が増えたが、均せば13.72勝と3番目に高い結果となった。

 

昭和60年代(4年間)

昭和60年代も13.79勝とレベルが高かった。千代の富士の全盛期にあたり、全勝も5回記録。大乃国も1度記録している。荒れることはほぼなく、横綱大関以外は、保志が関脇で記録したのみ。

 

昭和55〜59年

昭和60年代と良く似た比率だが14勝が多く、平均成績は13.8勝と、千代の富士全盛時代を上回った。4横綱の争いで始まったが一気に世代交代が進み、12勝での優勝が続いた時期もあったが、すぐに横綱大関が充実して高いレベルでの争いになった。全勝は北の湖、隆の里が2回ずつ。20代の千代の富士は案外取りこぼしが多かった。

 

 

  まとめ

 

昭和末期まで遡ってみたが、5年くらいで均すと大体13勝台後半に着地しているのだが、令和の優勝成績の平均12.8勝は極端に低かった。平幕優勝続出の下剋上ぶりが影響していると思われたが、平成元年〜5年にも4回平幕優勝があったものの、その4回の平均成績は13.5勝で全体平均とほぼ同じ。令和の平幕7人の平均は12.7勝と低いが、全体平均とはそう変わらず。平均成績を押し下げた一因ではあるが、平幕以外の優勝でも同等の成績ということなので、主因とは言い切れない。この辺り、次稿で地位別の優勝回数を調査して関係性を見出してみたい。