7.7-2015-10:35 -232 | スローライス夫と老眼めがね

スローライス夫と老眼めがね

いつかバリバリ働けるように、水面下でPC作業や、軽作業、
色んな作業に取り組んでいます。
夫は心身共に弱いので、私が2人分面倒見れるように、
頑張っています。
このブログは、仕事の一環として、文章力を高めたいと思い、
立ち上げました。

今日は、七夕。年に一度来る。

彼女の祥月命日。

2015年の今日、私の親友は亡くなりました。

綺麗で明るくて、そして一途な人でした。

そんな彼女が、何の知らせもなく

鉄道に身を投げた。

 

彼女とは、中学時代からの友達で、

同じクラスで、私が「生活委員」で、5分休みの時に、なぜかわからないけど、

ドアの前に立つ役割に就いていました。

そんな私に、彼女が「〇〇さん、おはよう」と彼女だけが、

声をかけてくれたことが、きっかけで

共通の友達も増えて、仲良くなりました。

高校時代は、私の周りに「高校生」は彼女だけだったので、一番話が合う人でした。

私の学校の学祭に必ず応援に来てくれました。

 

そんな彼女も服飾の専門学校に進学。

訳あって、途中で中退。

その頃から、段々と彼女がこころを病んでしまって、

私が、親のすねかじって遊びまわってた時に、

お誘いのメールをしても釣れない、

ちょっと頑固者だな、くらいにしか思ってませんでした。

でも実は、家から出れないくらい、彼女はこころが病んでいたんです。

そんなこともつゆ知らず、頑固者なんて思ってしまった私がほんっと馬鹿で

人の心の分からない冷たい人でした。

 

そんな彼女が、SNSで私と同じ高校の人と友達になったよー知ってるー?

ってメールが来たのきっかけで、

また再会できることが出来ました。

久しぶりにあった彼女は、ちょ~綺麗で明るくて素敵な人になっていました。

でも、不安症がまだあって、ひとりでは外出できない状態だったので、

仕事はしていませんでした。

 

一方私も、大学をさっさと辞め、親の(当時の婚約者の)すねかじりだったので、

時間は沢山ありました。

よくウィンドウショッピングに出掛けては、プリクラ撮ったりして遊びました。

絵が好きな彼女だったので、パステル和アートの教室に一緒に行ったり、

お料理教室にも一緒に行きました。

 

それくらい仲が良かったんですが、私の勘違いで、音信不通に。

でもそれも何とか乗り越えて、また仲良くしてくれることに。

 

2014年、私は職業訓練、彼女は一流レストランの開店オープンスタッフとして

活躍してました。

お互い仕事終わりに、すすきのに行って夏祭りで、松山千春を生で見たり、

楽しかったです。

 

でもそんな明るく行動力の高い彼女が、

年末に向けて、徐々に壊れ始めました。

 

そして入院。

私は、2,3回しかお見舞いに行けませんでした。

というか、「行かなかった」が正解。

行っても1時間しか会えなくて、それも2時間から1時間、1時間から30分と徐々に

短くなるばかりで、ちょっとイラついていたんです。

 

こんなことになるなら、もっといっぱい1分でも1秒でも、

一緒にいてあげるべきでした。

 

そして、迎えた一時退院。

一時退院が一番危ないということを、

あとから(自殺予防の団体に入って)知りました。

 

一時退院のとき、何回か線路に飛び込もうとしたり、自殺未遂を繰り返していたことが、

後から知りました。

 

そして8年前の今日。彼女は、遠い場所へ一足先に逝ってしまいました。

 

享年30歳

 

だから私はいつも私の誕生日が来るたびに申し訳なくて、

ごめんね、またひとつ貴女より年を取ってしまったけど、もう少しここにいさせてね。

とお祈りするばかりです。

 

そして、今の夫と自殺予防のNPOをやり続けることが、

彼女への贖罪なのかなって思います。

 

彼女が見たかったこと

彼女が聞きたかったこと

彼女がしゃべりたかったこと

彼女が触りたかったもの

彼女がしゃべりたかったこと

等を、生き残った私に出来る使命なのかなって思って

日々を生きてます。

 

ねぇ、お元気ですか?

その世界でジャニーさんとKinKiの話で盛り上がってるかな?

1年に1回の今日、光ちゃんに会えるといいね★