リストクラッチ・エクスプロイダー -276ページ目

Touch!Eco Zoom Super Stage

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にっテルじゃなくて、日テレに行ってきました。

まず最初に川嶋あい。

リハーサルは直前にあっさり一節(笑)

ですが、本番はさすがでした。

切ない声の響きに弾き語りは川嶋あいの独壇場でしたΣ( ̄□ ̄;

また、イケメン羽鳥さんの突っ込みに笑顔を見せてました。

いや~あの寄り目さんは可愛いっす!(・m・*)

川嶋さん、alanのたどたどしいエコ話に興味ありげにしてましたね(^u^)

次にalan。

エコTシャツにいつもの青いスカート。

エコ話には、冷房好きじゃない(笑)と、マイ箸の話をしてました。

セトリは、
久遠の河
群青の谷
幸せの鐘
でした。

特に幸せの鐘は、久々に最高でした!Σ( ̄□ ̄;

去り際に勝手に帰ろうとして、羽鳥さんに呼び止められました(・m・*)

相変わらず、マイペースや!w( ̄▽ ̄)w

また、
羽鳥「7月にライブあるんですよね?」

alan「私…わからない(苦笑)」

羽鳥「………alanさんはスタッフに言われた事を、ただ、心を込めてやってます!」

もう、大爆笑でしたw( ̄▽ ̄)w


最後はET-KING。

懐かしいね、卒フェス以来かな?

手をあげ、タオルを振り回して元気にやってました(^u^)

いやー久々、ライブは辞められないね!

小橋建太という男 3

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今の小橋は胸に攻撃を受けると、真っ黒く、どす黒い跡が残ります。

昔とはやはり回復力が違う。

それが現実です。

それでも、その存在感は素晴らしいものです。

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 がんは今、不治の病というわけではない。たくさんの人が不安の中で闘病している。

 「がんばるしかないですよね。自分を信じて、生きようと。自分も、チャンピオンになったこのいい時期に、なんでなんだ?と思いましたけどね、やっぱり。だから……」

 言葉の端々から一生懸命な姿勢が見える。おごらず、偉ぶらない。

 「自分だけじゃないんだよ、と。人間なんてみんな一緒だと思うんです。みんな弱いと思うんですよ。でも、強くなろうとする気持ちがあれば、強くなっていく。『上がって行こう、上がって行こう』と思えば、必ず上がって行けると思う。プロレスが好きか嫌いかは別にして、がんになっても復帰したプロレスラーがいるということを一人でも多くの人に知ってもらいたい。病気とかいじめとかにあっている人に、負けないで自分自身を信じてがんばって行けば道は開けていくんだと。それを伝えたいんですよね」

 小橋さんの目は、どこまでも真っすぐだった。

 ■人物略歴 ◇こばし・けんた 1967年、京都府福知山市生まれ。福知山高校卒業後、京セラ勤務を経て、87年、全日本プロレス入門。88年にデビュー。00年に現在の所属会社「プロレスリング・ノア」が創設されたのを機に「新しい自分を建てる」という意味を込めて本名の健太から改名。186センチ、115キロ。

小橋建太という男 2

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小橋と言えば、三沢、川田、田上の四天王。

また、盟友であり、ライバルの秋山。

彼らとの試合は壮絶でしたね。

特に三沢対小橋についてはアメリカのECWという団体に、アメリカでそのままやって欲しいと要望があったくらい。

それくらいめちゃくちゃな試合でした(笑)

花道から場外に後ろ向きに三沢が投げたタイガースープレックスには、思わず私も
「嘘っ!!!」
と叫んでしまった程。

他団体も絶賛していた恐ろしい、壮絶な戦いには、小橋という素晴らしい存在が不可欠でした。

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 東京都江東区にある事務所を訪ねると、白いシャツにブルーのネクタイをきちんと締めた小橋さんが現れた。黒のスーツに包んだ体は、リングの上よりも小さく見える。激しい戦いの後、観客に何度も丁寧にお辞儀をした、あの誠実な人柄は、ここでも全身からにじみ出ている。

 「(告知された時)がん=(イコール)死=『もうプロレスができない』って、すべてが結ばれました。帰りのタクシーの中で入門して20年のことが頭にフラッシュバックしましたね。家に帰って、少し落ち着いてから、いろいろ考えました。ああ、もうこれで死んでしまうんだな、と。あこがれのチャンピオンベルトも取ったし、ベストバウト(年間最高試合賞)とかMVPとかの賞もいっぱいもらったんですけど、でも何が自分にとって一番大きかったのか、と考えたら、ファンのみんなの声援だったんですね。自分のプロレス人生は本当にファンのお陰だった。そう思うと後悔はなかった。こんなにみんなに愛されたプロレスラーとして後悔はない、とね」

 告知翌日に福島県であったファンイベントにも予定通りに出掛けた。付き人にも、会社の人にも、病気のことは一切言わなかった。

 手術は翌7月。手術後は底なし沼といえるほどの、精神の激しい落ち込みにも苦しんだ。全身の倦怠(けんたい)感が3~4カ月続き、心身ともにブラックホールにいるようだった。もともと練習熱心で知られるが、当時は「ここで動かないとダメだ」と、自分を無理やり道場に連れて行き、練習を再開した。「早くリングに上がりたい」という一心からだった。復帰について主治医は「絶対反対」と言い続けた。

 07年12月2日。日本武道館で546日ぶりの復帰戦を果たした。詰め掛けた1万7000人は「プロレスリング・ノア」史上最多の観客動員数となり、異例の立ち見券も販売された。試合は敗退したが、終了後、観客は総立ちとなり、「小橋コール」が起こった。多くの人が泣いていた。みんなが「生きる」ことの大切さを共有してくれている。

 「まずは生きること。だって、生きたくても、生きることができない人がいっぱいいる中で、自分は生きるチャンスを得たんですよ。当たり前にできていたことが、当たり前って感じない。すごくありがたく感じますよね。すべてに対して、ありがたい、ありがとう、って感謝の気持ちが余計に強くなりましたよね」