沢田聖子:アニバーサリーライブ@吉祥寺スターパインズカフェ その3
24.雨ノチ晴レ
2004.05.21
「2004年…もう随分たったね(笑)」
最後の曲からは6年。
「今やインディーズで出すのも普通ですからね。」
音楽を取り巻く環境も随分景色が変わりました。
一曲、一曲、ほんとに沢山の拍手でしたね。それに対して、一回一回、深く深くお辞儀する律儀な聖子さん。
150人余りが聖子さんの一挙手一投足をじっくり楽しんでいる。私も座りながらも前のめりで観てました。
もちろん、アンコール(^_^)v
EN01.ありがとうの唄
ギターを抱えながら、場内1人1人に顔を向けて歌う聖子さん。
歌い終わると、数人の方が花束やお土産を渡してました。お土産のひとつを横にして、覗き見る聖子さん(笑)最後までお茶目だ(^w^)
「いや~3時間(笑)長々お付き合いありがとう。ほんと来てくださるだけで嬉しいのに、こんなお土産まで頂いて…また9月にはアルバム引っさげて全国回る予定です。みんな、頑張ろうね!」
デビューから31年後、曲がりなりにも150人、元気にライブにファンが来てくれるなんて、確かに素晴らしいかも。
たまたま私が来たのが、都合の良かったこの日。それが31年のアニバーサリー。
ここには入れなかった方も居たはず。もうパンパンの会場は、最後まで静かに熱い愛情に溢れておりました。
PS.その他MC
本人曰わく、
「この頃は触れたら壊れそうな…可憐なイメージ(笑)それも戦略でね」と言っていて、みんな爆笑していました(笑)自分で言うか(笑)
「中里綴さんはSK…Ⅱは化粧品ね(笑)SKDみたいな歌劇団でしたの」
聖子さん、西野バレエ団です(笑)惜しい!(^O^)
沢田聖子:アニバーサリーライブ@吉祥寺スターパインズカフェ その2
03.坂道の少女
1980.04.25
この時キャンペーンで随分全国各地を回っていたようです。ラジオでは、大阪MBSの「ヤンタン」でアシスタントを務めてました。桂べかこさんには可愛がられたらしいです。鶴光さんには当時のニキビ顔から、“たこ焼き娘”と有り難くないニックネームを頂いたとか(笑)
同時期にアシスタントをやっていた石川優子さんは“象の足”なんて言われていたそうです(^_^;)酷いな~鶴光氏。
「最近石川優子さんどうしてますかね~って向こうも同じ事言ってるかも知れませんが(笑)」
04.星空のメッセージ
1980.09.25
05.春
1981.03.25
この辺は歌詞まで私全部覚えてますね(^O^)
歌いながら調子を上げてるみたいです。最初より響きが良くなっている。
06.雨の日のサンシャイン
1981.09.05
中里綴さんが書いた詞で、
“I LOVE あなたが好き LOVE”
とLOVEという言葉が繰り返されるのですが、“ラヴ”というよりは“ラー”と伸ばすので、ある方に、
「静岡弁の歌ですか?」
と言われたとか(笑)
てか、ネタちゃいますか、それ(^w^)そんな事言うかいな、ほんまに(笑)
なかなかMCが面白いっす、聖子さん(^w^)
07.卒業
1982.01.25
08.季節(シーズン)
1983.11.21
この曲大好きだ~
“傾いてゆく傾いてゆく
速度を増して心が”
アップテンポで明るい曲で、聖子的歌唱が冴える曲ですね(^O^)
久々に結婚式に呼ばれたそうなんですが、そこでアップライトピアノで明るい曲を歌ったそうです。
新郎新婦より上の位置で、しかも背中向けて、とか(笑)
その結婚式にはあの堀江淳さんもいて、かの名曲『メモリーグラス』を歌ったとか(^_^;)
“♪あいつなんかあいつなんかあいつなんか~”
のフレーズで有名な別れのイメージの曲(笑)
「反面教師という意味で…」ということらしいですが、やっぱりヒットがその曲ですからね(笑)苦笑ですね(^w^)
09.都会人
1984.04.25
“まちびと”って読むかと当時思ったそうです(笑)もちろん“とかいじん”です。
作詞は売野雅勇さん。大作詞家ですね。
売野さんの話をする時、
「かっしわばら、よっしえさんの曲とかね(笑)」
と聖子さん(^w^)柏原よしえさんの使い古された物真似が出るとは(笑)わかる人は少なくなりつつあります。
10.あなたからF.O.
1984.12.01
11.Natural
1986.04.25
12.冷たい言葉で傷つけて
1986.09.25
最近、自身の作詞にぶつぶつ突っ込むそうです(笑)
その時、その時の感情ですからね。
ちなみにこのライヴハウス、当然食事とかも注文すれば出ます。
この悲しい曲、
『冷たい言葉で傷つけて』
を歌いながら、ナポリタンの香りがするな~と思ったそうです(笑)
歌いながらお腹すいたんですかね?(笑)
13.LIFE
1988.05.25
この頃、イルカオフィスという、イルカさんの事務所を出て、個人事務所に移籍。
「カンベさん(イルカさんの旦那様)、イルカさんがいなかったら今の私はいない」
と聖子さんは言ってました。
14.愛を下さい
1990.06.20
「私はマネージャとなかなかそりが合わないんですよね…」
と聖子さん。何度もマネージャーは変わったそうなのですが。
同世代のマネージャーさんがついた時は、なかなか現場に来なかったことがあるとか。新島に彼女がいる人で、彼女に会うために現場に来ない。
それは…採用した会社が悪いのでは?(^w^)
他にも、マイホームパパのマネージャーさんがいた時は、土日の休日には仕事に来なかったとか…。
それも会社の採用の問題では?(^w^)
「私は1人で何でもやってく運命なのかな、と。」
うーん。そりが合わないだけじゃない気がしますね。
ただ自立には役に立ちましたね(^w^)
15.乗り越えて行けるね
1991.10.02
16.未来の子供達のために
1992.03.04
昼ドラのCD応募とかって凄いみたいですね。たった数秒の告知なのに、当時1万5000通も応募があったそうです(゜∀゜;ノ)ノ
「…その分買ってくれたらいいのにね(笑)」
…確かに!(^w^)
17.笑顔が好きだから
1994.02.05『赤ずきんチャチャ』エンディングテーマ
オープニングテーマはあの○MAP!!!(°□°;)
「タイアップがないとCDが出せない時代になりましたね…あのユーミンでさえ、イメージに合わないと書き直しを何度でもさせられるから。直しに直して、合わせて、出来た曲って、何なんだろうと思いますよね。」
うーん、直す理由によりますよね。あまりに理不尽なものもあるでしょうね。仕事ですからある程度合わせないとね。ただ、タイアップがないと出せないというのは、大変だったでしょうね。
18.風になりたい
1995.04.21
「長い間やって来て、ほんとに音楽を好きで、理解していた人は一握りでしたね。ビジネスの才覚がある人は沢山いましたけど(笑)
この頃、佐藤よしはるさん(聞き違いかも知れません)と組みましたけど、ほんとに佐藤さんは音楽が好きだし、一緒にやっていて楽しかった。」
そうなんだ…
なかなかショックな言葉ですが、ようやく掴んだ楽しみを感じていた時代なんでしょうね。
ちなみに聖子さんと同時期にシンガーソングライターとして活躍し、元祖女性ロックシンガー、元祖学園祭の女王、白井貴子さんも同じような紆余曲折で、会社を離れたとか。
80年代、90年代はメジャーで活躍したアーティストは沢山いましたが、生き残ったのはごくわずか。音楽については時代も嵐のように変化していった時代でしたね。
19.smile
1997.05.21『笑顔がいちばん!』テーマ曲
昔のレーベルに出戻った時期の話をしていて、
「あたし、今、デモドリだからねー。…あ、デモドリ…デモを取るね(笑)」
オヤジギャグ多数!(^w^)
20.Respect
1998.01.21
21.風を感じて
1999.05.26
富良野で詞を書いた話をしてましたね。
「青い空、白い雲…なんて見えないけど(笑)周り一面、銀世界だからね(笑)一緒懸命詞を書いたよ。」
詞を書くのは妄想力ですね(^w^)
22.一緒にくらそー!
2000.11.22
23.ナンクルナイサ
2003.02.19
「…歌いすぎたかなー(笑)」
いや、嬉しいですよね(^w^)
シングルを最初から順に歌ってくれて、その時のエピソードとか沢山MCを入れてくれて。
しかもオヤジギャグとか、過去の自分にツッコミ入れるとか(笑)
やっぱりラジオとかで結構リスナーにツッコミ入れてたからか、なかなか厳しいツッコミが多い(笑)
あとMBSに出入りしてたからか、関西っぽい、必ずオチを用意してますからね(笑)
はっきり言って、ここまで面白くて素敵な人だったとは驚きました(*^o^*)
~つづく
沢田聖子:アニバーサリーライブ@吉祥寺スターパインズカフェ その1
“沢田聖子
緑の風に乗って~Anniversary Live~”
沢田聖子さんを見に行きました。
沢田聖子(さわだ・しょうこ)さんは今で言ったら、植村花菜さんや竹仲絵里さんのような、女性シンガーソングライターです。
まあ時代に翻弄されたシンガーでしたね…
ジャンル的にはニューミュージック。
ですが、見た目の可愛らしさからアイドル的扱いでした。戦略的にもそれを利用して、テレビやラジオへの出演、イメージビデオの作成等ありましたね。
師匠はあのイルカさん。ルーツはフォークです。“イルカの妹“というキャッチコピーでした。
最近ではさだまさしさんの妹、佐田玲子さんと、70年代フォークのユニット“THE 4/9”を結成したりしてます。
ちなみに、5/3に原田知世さんに私が会いにいったように、“今さらながらぜひ会っておきたい人”ということで、チケットを入手しました。
可憐でありながらメリハリのあるボイス。アイドル全盛の時代に、可愛けりゃいいじゃん、と移行して行く中、ちゃんと歌えるアイドル的なアーティストとして人気を博します。当時も年間沢山のライブをこなしながら、テレビやラジオでも活躍してました。
私はどういうきっかけかは覚えていませんが、沢田聖子というアーティストにがっつりはまり、当時はお金も当然ながら無いので(笑)、レンタルレコード“友&愛”で聖子さんのレコードを借りて、カセットにダビングして聴きまくりました。
彼女は詞が先の曲が多いせいか、言葉が異様に印象的な歌が多かったですね。多くは曲のイメージからスタートするライターは少なくないですが、彼女はその傾向が強いです。
ちなみにあの松田聖子さんとは3日違いの誕生日。さらにデビューは1年早い、という因縁もあります(笑)但し、沢田聖子さんは本名です(旧姓ですが)。
時代に翻弄された…というのは、やっぱりアイドル全盛の時代に、戦略が難しかったこと。
17歳というアイドル並の年齢でデビュー、位置的にはフォークシンガー。アイドルとアーティストとの狭間で戦略がブレたようです。
またシンガーソングライターながら、初期には自身より作詞家、作曲家が書いた曲がシングルになるのが多かった点もあり、なかなかうるさ方の人々に認められなかった部分もあったようです。
本人はその当時、誰もが登龍門として参加したヤマハの“ポプコン”出身でないことにコンプレックスを持っていたとか。確かにこの時代のアーティストはポプコン優勝や少なくとも参加したアーティストが華々しくデビュー、活躍してましたからね。
ですが、一度聴いてその声、その響きに病みつきになりました。見た目も可愛らしいシモブクレちゃんでしたね(^w^)←失礼
今は48歳。もう、とうにおばちゃんです。失礼ながら。
写真も最近のはそんなに数ないところからも、どうなんだろねと思ってました。
ただ、元気にブログもライブもやってらっしゃるということで、チケット入手しました。
なんせTVやレコードでしか触れていなかったので、結構ドキドキでした(笑)
チケットももう残り少なかったらしく、じかにライヴハウスまで買いに行きました。
当日、並ぶと私より10や15は年上の方々ばかり。もちろん同世代らしき方もいます。
で、さすがに知ってる方はいないかと思ってたら、いましたね、2、3人(笑)
私「何してんの?」
知り合い「うるさい(笑)」
ま、いいか(笑)
中には全員座れる椅子が。
飲み物飲みながら待ちました。
しばらくして、ひょい、と顔を出した聖子さん。
なんと、オーバーオールです(笑)
「これ、新しいやつね。バースデーライブはほんとに昔の履いたの(笑)」
ちなみに…過去水着にもなってる聖子さん。かなりのスレンダーナイスバディです(笑)
今日はギターとピアノが用意されたステージ。元々ピアノの弾き語りだったのですが、あの村下考蔵さんとの出会いから、ギターを弾くようになったらしいです。
ギターから始まりました。
なお、シングル主体との事なので、発売日を添えて書きます。
「バースデーはね、32曲やったよね。感謝の気持ちを込めてね。そしたら、アンケートに“MCもして欲しかった”とか(笑)もう~みんなワガママ(笑)」
なるほど(笑)
01.キャンパススケッチ
1979.05.25
デビュー・シングル
あーこの声(;∇;)。
変わってない。凄いなあ。
やっぱり青春を感じさせますね。高い音も健在。安心しました(^O^)
この歌の内容が恋愛の歌で、なかなか歌うのが恥ずかしがったそうです(笑)
「最近は、もう気にならなくなった(笑)」
とか(^w^)
当時まだ杉並の高校生で、セーラー服で現場に入っていたそうです。当時学生が現場に入るのは新鮮だったようで、よく驚かれたとか。時代ですねぇ。
02.シオン
1979.10.25
ギター弾き語り。
イルカさんのデモテープを意識したバージョンで披露してくれました。
とっても可愛げがある曲で、まさに沢田聖子を代表する曲。
この曲から、自分の娘を“シオン”にした沢田聖子ファンのお父さんがいたとか、いないとか(笑)
~つづく
緑の風に乗って~Anniversary Live~”
沢田聖子さんを見に行きました。
沢田聖子(さわだ・しょうこ)さんは今で言ったら、植村花菜さんや竹仲絵里さんのような、女性シンガーソングライターです。
まあ時代に翻弄されたシンガーでしたね…
ジャンル的にはニューミュージック。
ですが、見た目の可愛らしさからアイドル的扱いでした。戦略的にもそれを利用して、テレビやラジオへの出演、イメージビデオの作成等ありましたね。
師匠はあのイルカさん。ルーツはフォークです。“イルカの妹“というキャッチコピーでした。
最近ではさだまさしさんの妹、佐田玲子さんと、70年代フォークのユニット“THE 4/9”を結成したりしてます。
ちなみに、5/3に原田知世さんに私が会いにいったように、“今さらながらぜひ会っておきたい人”ということで、チケットを入手しました。
可憐でありながらメリハリのあるボイス。アイドル全盛の時代に、可愛けりゃいいじゃん、と移行して行く中、ちゃんと歌えるアイドル的なアーティストとして人気を博します。当時も年間沢山のライブをこなしながら、テレビやラジオでも活躍してました。
私はどういうきっかけかは覚えていませんが、沢田聖子というアーティストにがっつりはまり、当時はお金も当然ながら無いので(笑)、レンタルレコード“友&愛”で聖子さんのレコードを借りて、カセットにダビングして聴きまくりました。
彼女は詞が先の曲が多いせいか、言葉が異様に印象的な歌が多かったですね。多くは曲のイメージからスタートするライターは少なくないですが、彼女はその傾向が強いです。
ちなみにあの松田聖子さんとは3日違いの誕生日。さらにデビューは1年早い、という因縁もあります(笑)但し、沢田聖子さんは本名です(旧姓ですが)。
時代に翻弄された…というのは、やっぱりアイドル全盛の時代に、戦略が難しかったこと。
17歳というアイドル並の年齢でデビュー、位置的にはフォークシンガー。アイドルとアーティストとの狭間で戦略がブレたようです。
またシンガーソングライターながら、初期には自身より作詞家、作曲家が書いた曲がシングルになるのが多かった点もあり、なかなかうるさ方の人々に認められなかった部分もあったようです。
本人はその当時、誰もが登龍門として参加したヤマハの“ポプコン”出身でないことにコンプレックスを持っていたとか。確かにこの時代のアーティストはポプコン優勝や少なくとも参加したアーティストが華々しくデビュー、活躍してましたからね。
ですが、一度聴いてその声、その響きに病みつきになりました。見た目も可愛らしいシモブクレちゃんでしたね(^w^)←失礼
今は48歳。もう、とうにおばちゃんです。失礼ながら。
写真も最近のはそんなに数ないところからも、どうなんだろねと思ってました。
ただ、元気にブログもライブもやってらっしゃるということで、チケット入手しました。
なんせTVやレコードでしか触れていなかったので、結構ドキドキでした(笑)
チケットももう残り少なかったらしく、じかにライヴハウスまで買いに行きました。
当日、並ぶと私より10や15は年上の方々ばかり。もちろん同世代らしき方もいます。
で、さすがに知ってる方はいないかと思ってたら、いましたね、2、3人(笑)
私「何してんの?」
知り合い「うるさい(笑)」
ま、いいか(笑)
中には全員座れる椅子が。
飲み物飲みながら待ちました。
しばらくして、ひょい、と顔を出した聖子さん。
なんと、オーバーオールです(笑)
「これ、新しいやつね。バースデーライブはほんとに昔の履いたの(笑)」
ちなみに…過去水着にもなってる聖子さん。かなりのスレンダーナイスバディです(笑)
今日はギターとピアノが用意されたステージ。元々ピアノの弾き語りだったのですが、あの村下考蔵さんとの出会いから、ギターを弾くようになったらしいです。
ギターから始まりました。
なお、シングル主体との事なので、発売日を添えて書きます。
「バースデーはね、32曲やったよね。感謝の気持ちを込めてね。そしたら、アンケートに“MCもして欲しかった”とか(笑)もう~みんなワガママ(笑)」
なるほど(笑)
01.キャンパススケッチ
1979.05.25
デビュー・シングル
あーこの声(;∇;)。
変わってない。凄いなあ。
やっぱり青春を感じさせますね。高い音も健在。安心しました(^O^)
この歌の内容が恋愛の歌で、なかなか歌うのが恥ずかしがったそうです(笑)
「最近は、もう気にならなくなった(笑)」
とか(^w^)
当時まだ杉並の高校生で、セーラー服で現場に入っていたそうです。当時学生が現場に入るのは新鮮だったようで、よく驚かれたとか。時代ですねぇ。
02.シオン
1979.10.25
ギター弾き語り。
イルカさんのデモテープを意識したバージョンで披露してくれました。
とっても可愛げがある曲で、まさに沢田聖子を代表する曲。
この曲から、自分の娘を“シオン”にした沢田聖子ファンのお父さんがいたとか、いないとか(笑)
~つづく



