波乱の名古屋場所は平幕・逸ノ城(いちのじょう=西前頭2枚目)の優勝で幕を閉じた。
優勝争いの先頭にいた横綱照ノ富士、逸ノ城が前日ともに敗れ、決着は千秋楽に持ち込まれた。
その結果、逸ノ城が勝ち、照ノ富士が大関貴景勝に敗れたことで、あっさり決まった。
逸ノ城の優勝に驚いたという人は、意外に少ないかな。自分も三日目の時点で、3連勝している逸ノ城の相撲内容から、場所の〝台風の目〟になり、大きな風を起こす可能性があると見通した。
新入幕の場所に横綱、2大関を倒して13勝2敗の好成績を上げ、〝怪物〟とも言われた。その彼が、遅まきながらようやくその本領を発揮したような気がしないでもない。
コロナ感染拡大という事態の中で、力士は奮闘したと思う。目の覚めるような好取組が何番もあった。
14日目の若元春―霧馬山戦は、鍛えてきた体と技、粘りを総動員した好取組だった。一度目は物言いがつくきわどい勝負。取り直しも、互いの力を出し切った。もう一回物言いがついてもおかしくなかった。
〝血沸き肉躍る〟という言葉がある(歳がわかるなあ…)。その代表格が、1975年、114㌔の大関貴ノ花が、横綱北の湖と繰り広げた優勝決定戦の大熱戦。映像でしか見ていないが、あの一番が浮かんだ。
若元春―霧馬山戦も語り継がれていくかもしれない。
8日目には、この若元春が照ノ富士をあと一歩まで追い込んだ。立行司の式守伊之助がこの相撲に「待った」をかけて全国の相撲ファンがしらけ、怒りまくったが、この一番も見ごたえあった。
体たらく(ていたらく)ですっかり信用を落としてきた大関も、久しぶりに活躍した。
しかし、終盤には感染が猛烈な勢いで広がり、相撲界でも全力士の3割以上が休場に追い込まれた。勝ち越し目前で休場となった力士も少なくない。
大相撲では休場=黒星(負け)扱いだ。勝敗が次の番付に反映していく。生活と将来がかかっているだけに、この取り扱いは重要だ。連続出場などの記録も次々に中断された。
八角理事長(元横綱北勝海)は「出られる人がいい相撲を見せる、それしかない」と語っていたようだ。しかし3割もの力士が欠場した本場所を不公平なものにしてならない。
場所後に検討するという休場措置の扱いでは、力士はじめ誰もが納得できるよう、きちっとやってもらいたい。〝大変な中でよくやったよ〟では済まされない。