最近、ちょっと衝撃的な本に出会いました。
『その農地、私が買います―高橋さん家(ち)の次女の乱』(高橋久美子=ミシマ社)という本がそれ。
東京に住む女性が、郷里・愛媛の山の急斜面に太陽光パネルが敷き詰められている風景に驚き、何とか農地を残せないか、農業を続けることはできないかと、猪突猛進、まっしぐらに突き進む。ドキドキしながら一気によんでしまいました。
愛媛だけではないですよね。首都圏でも、この太陽光パネルが田畑、山間部に広がっているのを見ます。
2011年に起こった東日本大震災以来、深刻な被害をもたらした原発のあり方が議論され、自然エネルギーへの転換が関心を集めてきました。太陽光パネルの普及もその一つです。
しかし、そのパネルが台風のとき吹き飛ばされて大被害が出たり、燃えたりという物騒なことも起きています。ものによっては鉛やカドミウムが含まれており、それが漏れたとき、いったいどうするつもりでしょうか。
何よりも、こうした黒いパネルで豊かな自然、田畑を覆ってしまっていいものか。
そうした現実を見るにつけ、生まれ、育った郷里の農業、農地をなんとか残したい。考えた女性が、父と激しくやり合ったり、農地取得で役所を駆けずり回り、家族や仲間の助けも借りてサトウキビの作付けなどにも乗り出すのですが……。
大きく変わっていく農村、おいしい農産物とはなど、農村がぶちあたっている実情が、軽妙で率直な文章から浮かんできます。学術論文とは一味も二味も違った、ドラマチックな内容です。最後に大変などんでん返しも…。
自国の農業で、自国の食料をどれぐらい賄っているかという食料自給率をみると、アメリカ130%、イギリス70%、イタリア、フランスなどはほぼ100%。これにたいして日本はわずか37%。何があっても、何もできないのです。外国に胃袋をがっちりつかまれています。
そういう時に、これ以上農業、農村を足げにしちゃっていいんですかね。
女性の奮戦を読みながら、考えさせられました。
東京など都市部で働き、生活している方でも、出身は地方という人も多いかもしれません。かく言う自分も、農村で生まれ、育ちました。
そのせいか、農業や食料の生産には関心を持ってきました。今は大相撲が中心ですが、最初は農業関係の取材が仕事でした。
相撲界に出入りしていると、食べることが、稽古の次ぐらいに大事なんじゃないかと思います。(〝親方があまり食費を出してくれず、ちゃんこ番のときは、モヤシを大量に買っていた〟と、力士が嘆いているブログを見たことがあります。充実したちゃんこ=食事=の出る相撲部屋は、ギスギスした感じがあまりない気がします)
この本は、自分の郷里はどうだろうか、農業は、食料の生産は、と、考えるきっかけになるかもしれません。