立ち合いは力士の気持ち次第? | ハッキヨイ!よっちゃん相撲日記

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大相撲取材歴20うん年!よっちゃんです!

 

 

 いつも、力士の立ち合いに注目して見ています。

 

 ご存じのように大相撲は、陸上競技とか水泳など「よーいドン」で始まる他のスポーツと違って、土俵に上がり、仕切りに入ったら、いつ 立ち上がっても許されます。制限時間はあるものの、力士双方が、目と目で「やるか!」と合意すれば、行司が「時間です!」と告げる前でも、自由に始められる。力士の自主性に任されています。

 

 元横綱双葉山が、一回目の仕切りからつっかけてきた相手を受けて立ったのは、有名な話です。

 時間前に立ち上がる相撲が多かった時代は、観客席にも独特の緊張感がありました。

 

 自分の経験でも、例えば時間前に立つことも多かった貴闘力(元関脇で、現在の王鵬の父)が登場してくると、いつ立つかと、観客は酒を飲むのもやめて、土俵上の仕切りに見入りました。

 

 しかし今は、時間前に立つ力士はほとんどいません。制限時間(幕内4分、十両3分)までは立たないと分かっているので、客は酒を飲んだり食事をしたり(今はコロナの影響で飲食はできなくなっていますが)と、のんびり。さらに「時間です」と告げられた後でも、なかなか立とうとしなかったり、一方的につっかけて、仕切りを繰り返す力士もいます。

 

 相撲規則では、制限時間の後は「待ったを認めない」ことになっていますが、まったく無視。土俵下の審判が、立とうとしない力士に「負け」を宣告した例を見たことがありません。。

 

 実は、相撲協会も「待った」が多いことに業を煮やして、「待った」をした者には「10万円」の罰金を課したことがあります。出羽の海理事長(元横綱佐田の山)時代でしたが、いつの間にかこれもなくなり、「待った」が増えているというわけです。規則は規則、現実は現実と、割り切っている?のかもしれません。

 

 この「待った」では面白い話があります。

 第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)に横山健堂という学者が出した『日本相撲史』(著)という本で読みました。

 

 その中で、大相撲見学に訪れた相撲好きの明治天皇の前で「某某両力士は、その立合に待ったを繰り返すこと五十四回に及び、終に立上るまで一時間Ⅲ七分という長時間を費やした。恐らく古来殆んど未曾有の長仕切であらう」(原文のまま)と書いています。

 

 ただし、これは付き合いのあった横綱から聞いた話と書かれており、真相はわかりません。ただ、天覧相撲で「待った」を54回、立ち上がるまで1時間以上もかかった立ち合いを、天皇もじっと見守ったという話には驚きます。

 

 制限時間が設けられた現代ではありえない話です。ただ、立ち合いは力士の決断一つ、という事がもっと浸透すれば、相撲はもっと面白くなるような気もするのですが、どうでしょうか。

 

 

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