最近、力士の珍しい転職がありました。元幕下力士だった舛東欧(ますとうおう、35歳=元常盤山部屋所属)が、ハンガリー駐日大使館の職員に採用されたのです。10月から正式に働き始めたというニュースにはちょっと驚きました。
彼はハンガリー出身で、同国のレスリング大会で何度か優勝し、13歳からは相撲も始めました。2004年の世界ジュニア相撲選手権大会では、無差別級で日本の澤井(のちの大関豪栄道)に敗れたものの、2位という好成績を上げ、将来有望と期待されて相撲界に入りました。
元関脇舛田山(ますだやま)が起こした千賀ノ浦(ちがのうら)部屋に入門し、2005年の1月場所が初土俵。三段目、幕下と歩を進めてきたものの、2011年にけがをして序ノ口まで陥落。その後、幕下8枚目と、あと一歩で十両というところまで番付を上げたこともあります。
別の力士の取材で千賀ノ浦部屋を訪れた時に初めて出会い、本場所の相撲も見てきましたが、腰高で先に攻め込まれることが多く、近年は、187㌢、168㌔の立派な体を生かし切れていませんでした。
現在の相撲界では、十両以上に昇進しなければ、「年寄名跡」という、相撲界に残る資格を得ることができず、指導者にはなれません。そのうえ、その資格を得るためには「日本人」でなければならないという規則があります。
外国籍である限り、どんなに実績を残そうが、優秀な能力を持とうが、相撲界に残り、後輩を育てていく道は閉ざされます。
そのため、十両まであがれなかった力士は、日本人でも再就職に苦労しますが、外国出身力士のそれは並大抵ではありません。
「日本で身につけたもの、経験を無駄にしたくなかった。日本とハンガリーのために何らかの形で役に立ちたかった」という実感こもった舛東欧の言葉は、すべての外国出身力士に共通するものでしょう。
勧誘するときは期待を持たせながら、いざ、その経験を活かしたい、尽力したいと思っても「お前は外国人だからダメ」という規則を設けているプロスポーツ組織は、世界のどこを見てもあまり聞きません。
世界に胸を張れないような閉鎖的な仕組みは、この際見直した方がいいんじゃないか。
舛東欧転職のニュースを喜びながらも、改めてそんなことを考えさせられます。