横綱白鵬が引退します。幕内の優勝記録はじめ、数々の金字塔を打ち立て、大相撲界を引っ張ってきた第一人者です。
彼が幕内に昇進してからの本場所の相撲は現場で、テレビでほぼすべて見てきました。直接話も聞いてきました。それだけに、〝白鵬時代の終焉〟には一種の感慨を覚えます。
(大記録を打ち立てた原動力-小さな体)
一つは、入門時の小さな体にあった、と思っています。
入門したときの体重がわずか62㌔。部屋で懸命に世話して何とか70㌔まで増やし、ようやく検査に合格しました。そして稽古を積みながら、徐々に体重を増やし、体をつくり、一歩一歩駆け上がっていきました。
今時の入門者で、70㌔未満の若者などほとんどみません。最初から100㌔、150㌔もある体を引っ提げて入門してきます。しかし巨体が邪魔して思うような動きができず、けが、故障が多くなり、壁にぶつかっている現実があります。
小さな体から鍛えてきたことが、備わっていた運動能力を引き出し、力士生命を伸ばし、大記録をつくりあげる土台になってきたのではないか。
(原動力その2-小部屋への入門)
出羽海部屋だの時津風部屋だのと〝ブランド部屋〝には、入門すれば強い稽古相手もたくさんいて、強くなっていくのが早いと言われてきました。しかし、70㌔もない、ひょろひょろしたモンゴルの少年をどこの部屋も引き取ってくれず、やむなく親方と力士数人しかいなかった宮城野部屋へ。これがその後の明暗を分けました。
強くなるためには自分で懸命に考え、努力するしかない。四つ相撲であれ、突き押しであれ、どんな相手ともたたかえる〝白鵬の独特の型の相撲〟がここから生まれました。
長年、白鵬を世話してきたトレーナーさんによると、当時の白鵬は素直で、研究熱心、だったそうです。その性格で力と技をグイグイ吸収していったのですね(のちの白鵬とはかなり違った!)。
これらが、強くなる土台をつくった、とみても、あまり外れていないかもしれません。
(長くなりました。次回は横綱昇進後の白鵬について…)