コミュニケーションのジェスチャーゲームか。 | totoporuto 4thのブログ

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お話や、お絵かきをしています。

興味が尽きない言語。

 

確かに普遍文法は何か腑に落ちないが、

ヒトに特化されたコミュニケーション力は、

ジェスチャーによって、言語を構築するというのは、

やはり言語という要素が機能的に存在しているのではないかと思わせる。

 

日本語のIsolation状態はさておき、源言語的なものは、

確かに人は携えて、アフリカを出たのではなかろうか。

 

偶然?

 

とか言いつつ次には「シンクロニシティ―」

乃木坂46?

いえいえ。

 

意味のある偶然。

 

然して、遇する。

 

しんにゅうと人偏の違いは?

 

サルトルは、「偶然は、絶対的必然である」と言ったそうな。

 

宇宙開闢は、絶対的必然であったか。

まあ、人間原理的にはそうなのだろうが、

因果と偶然の違いは、ヒトの認識に依っている。

どうとらえるか。

が、

シュレディンガーの猫は、その認識を試しているのか。

量子のもつれこそ、ヒトが観察して決まるという因果。

そこに、意味を見出せば決まるなら、全てを観察すれば、

全てが決まる。

 

膨張宇宙、膨張と収縮を繰り返す宇宙であっても、

最初が、収縮から始まるわけないので、

やっぱり、膨張のきっかけは知りたいものだ。

 

この著者は、

偶然と言いつつ、そこにどんな意味を見出しているのだろうか。

 

興味が募る。