ダニール・ハルムスにおけるメルヒェン性 | totoporuto 4thのブログ

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2011年に買っている。

初読、、、、、、ポワーーーーン( ゚Д゚)。

ダニール・ハルムスとは、

 

 

ダニイル・ハルムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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Charms.jpg                                       ☟ロシア正教のお陰で暦が

                                              ちょっと違うのよ。


ダニイル・ハルムスロシア語: Дании́л Хармс; ラテン文字転写例: Daniil Kharms, 1905年12月30日ユリウス暦 12月17日) – 1942年2月2日)は、ソ連初期の シュルレアリスト不条理詩人戯曲児童文学などの創作を行い、不条理文学の先駆者として注目されている。本名ダニイル・イヴァーノヴィチ・ユヴァチョフ(ロシア語: Дании́л Ива́нович Ювачёв; Daniil Ivanovich Yuvachov)。署名はラテン文字化した Daniel Charms を使用した。

略歴[編集]

サンクトペテルブルク生まれ。父のイヴァン・ユヴァチョフは、ロシア帝国の反体制テロ組織人民の意志の一員として有名で、アレクサンドル3世に対する破壊活動に連座して収監された人物である。ハルムス自身は1927年に仲間の詩人ヴヴェジェンスキーやザボロツキーらとともに、前衛文学結社オベリウ 《OBERIU》 を設立し、未来派の影響下で芸術活動を行った。1930年代にソ連当局による文化、文学の統制が強化され、活動自粛を余儀なくされた。そこで児童文学を書き始めたが、作風が危険視されて何度か逮捕される。1941年の逮捕が最後となり、数か月後に収容所内の病院で死亡したとされる。その実験的な作品は地下出版によって読み継がれた。

 

 

という、ウィキ様のコピーです。

 

作品例。

 

面白いといえばゴーゴリでしょうね。

 

この作品は、ユーモアではなく、前衛なんですな。

 

でも書き続けた。

 

そして獄死。

 

表現者として、そこにメルヒェンを感じるのは僕だけだろうか。

 

 

多くは語るまい。

 

ソ連の政治体制では、こういう生き方しかできなかったのだろう。

アネクドートでもなく、反政府活動でもなく、お話を書き続けただけである。

「労働意欲をそぐ」

これは共産主義下では致命的なレッテルだった。

 

人間社会におけるメルヒェンは、過酷である。

 

 

こんなのが手元にある。

 

ご存じ、デルス・ウザーラ。

黒澤明がソ連で映画化している。

中をちらっと、、

 

どうじゃ。

若気の至りで、翻訳しようと挑戦して、即挫折したエビデンスである。

 

 

こういうのを書く気は、ハルム氏にはさらさらなかったのだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、メルヒェン、3部作。

完結じゃぁ。

 

 

 

因みに、徳島県立図書館へ行って探したら、

「そり遊び」という絵本しかなかった。

創作を禁じられ、知人の勧めで絵本、児童書などを書いた。

その所為だろう。決して徳島県立図書館の怠慢ではないと思う。

が、、、

がっかりした思い出がある。

そり遊びといえば、たしかモーツァルトの曲にあったよね。

関係ないかぁ。

 

さいなら。

ゴミ出し終わったし、あさめしじゃぁぁ、

息子の用意もせんとな。

デイサービスなんだな。