診療所を閉めて、漸く食卓に向かい腰を下ろした時に電話が鳴った。
T さん。
奥様の声。
「夫の命が尽きそうです。」
なんとも独断的な、しかも冷静だ。
解りました、すぐに伺います。
T さんは、ここの所毎年4回の診察を受けに来ていた。
年相応の状態で、
治療をするかどうかの境界線上に推移していた。
尽きるってどうしたのだろう。
物静かに、寝室へ案内する奥様。
T さんは、ベッドに静かに横たわっていた。
どうしました?
「有り難うございます、私はもうすぐ死にます。よろしくお願いします。」
確かに臨終間際と知れた。
少し頑張りませんか?
「いえ。私は死にます。それはとても幸せなことなのです。それを先生に見届けていただきたく、
無理を申しました。」
今の状況が、理解できません。
「そうですね。自然です。自然は不可解なものです。」
医療にかかわってきた僕にはその言葉が冷たく刺さった。
「その自然が私を、今解放してくれるのです。幸せも、至極というものです。」
解放。
それは僕にはなかなか納得できるのもではない。
多くの臨終を見届けてきた僕には、何か凝りだした拘りがあった。
まもなくT さんの臓器は機能を停止し始めた。
すぅーっと水分が重力に馴染んでゆくのが感じられた。
死は、こんなにも絶対的なものだったのだ。
そして解放。
この瞬間、僕はゼロポイントを知った。
T さんはゼロポイントになったのだ。
そして僕も、
僕こそ、今、ゼロポイントにリセットされたのだ。
リセット。
生命に、終わりはないんだろう。
ゼロポイントに無限の宇宙を!
終