自分がJW2世として育ち活動をしていたという過去を、JWではない人、数人に話したことがあります。
その内の一人の人は話を真剣に聞いてくれ、その後ネットで情報を集め、関係した書籍を購入して読んでくれてまで理解しようとしてくれました。
そして、まだJWであった過去に折り合いをつけることができず、いわばウジウジしていた時にこのタイトルにある言葉を言われたのです。
「あのね、あなたはほんとうは邪悪な人なんだよ?それに気づいてる?きっと元々の性格はすごく嫌な奴、悪い奴なんだよ!」
「あなたはほんとうは邪悪な人!」
まあ面と向かってそこまではっきり言われると、けっこうショックでした(笑)
でも、そっか、私やっぱり邪悪な人間だったんだ、と妙に納得する自分もいました。
JWの活動を止めてから自分でも薄々感じていた、この自分の中に潜む悪くて黒い部分。
ワガママで不真面目で、自己中心的で自分さえよければそれでいいと思う自分。
JWとして活動をしていた時も、もちろん自分のいわゆる不完全さに嫌気がさし、理想の自分とのギャップに大いに苦しんではいました。
しかしJWでいた時代は、人のため、人類の救いのため、などという表面上は良さそうな活動に携わることで、自分はすごくいいことをしている = そんな自分はいい人だ、と勘違いしていたんだなと今は思います。
現役時代は、奉仕に集会に勉強に会衆の用事にと忙しく動いていたから、自分の内面と本当の意味で向かい合っていなかったのかなと。
JWの活動を止めてからは、それに費やしていた時間がそっくりそのまま空き、改めて自分は一体どういう人間なのかと考え始めた時に、自分の中に潜む根深い悪い部分に改めて気付いたんですね。
そしてそのタイミングで「あなたはほんとうは邪悪な人!」とはっきり言われたものだから、自分でもとても納得したんです。
そっか、私やっぱり邪悪な人間だったんだ、と。
しかし、続けてその人はこう言ってくれました。
「でもカルトでもなんでも、聖書を勉強したおかげであなたは少しはいい人になれたんだよ。エホバやめてからお友達だっていっぱいできて、飲みに誘ってもらうまでになって、すごく慕われて、それは聖書を勉強したおかげなんだよ。それ分かってる?」
恐らく生まれ持っての性質はほんとにあまりよくないんだと自分でも思います(苦笑)
でもそんな自分でも
人のために何かをしたいと思う気持ちがあり
人のために何かをすることを嬉しいと感じ
人の幸せを願うようになっている
そんな良い心を少しは持てるようになったのも、聖書を何十年も勉強してきたおかげなんだなあと。
幼い頃から聖書を学ぶのが当たり前で、黄金律や霊の実を徹底的に叩き込まれ、困っている人がいればためらわず助けること、自分の命を差し出してでも人を助けること、愛とは許すことであり受け入れること、いつも与えることが重要であること、などなど。
たとえカルト宗教であっても、普通の日本人であればなかなか触れる機会のないキリスト教というものについて、また聖書の基礎について教えてもらい、キリストのような人格者の生き方を学ばせてもらっていたことを、感謝したいと思うようになりました。
(もちろん妙な教えによって偏った面もたくさん植え付けられましたが・・・まあそれはさておき(笑))
JW2世であった過去を消し去りたい、拭い去りたいと思う気持ちから、JWとして必死に生きてきた自分の過去を愛し慈しみ感謝する思いに少しずつ変化していくきっかけになりました。
思えばJW現役時代も悩み苦しんできたその時々に、いわば金言とも言える言葉で気づかせてくれる人たちが私にはいました。
そしてJWの活動を止めた後も、こうやって私に大切なことを教えてくれる人にも出会えたこと、ありがたい気持ちでいっぱいです。
単純に考えると、自分を否定せず、いや私はいい人だ、よく頑張っている、と考えるのがポジティブ思考なのかもしれません。
私の場合は、自分の中にある邪悪さ黒い部分をまず徹底的に認め、それでも今は少しはましな人間になれている、それは聖書を学んだから、ということはJW2世として育った過去も決して無駄な時間ではなかった、と考えたんですね。
時々、JWでなくても素晴らしい人格者に会うと、この人は聖書を学んでいなくてもどうして立派なんだろう、と現役時代はよく考えたものです。
きっとその人は生まれ持っての性質が良い人、そして聖書を学ぶ以外の方法で自分を成長させてこられた人なんだと思います。
私の場合は、JW2世として育てられ聖書を学ぶという方法で、少しは人として良い方向に成長できたんだと思います。
JW現役時代はJWになることしか自分を成長させる方法はないと思っていました。でも今は、人が自分を成長させる方法は人それぞれなんだと思えます。
ある人は仏教の教えで、ある人はまた別の宗教の教えで、ある人は仕事を通して、ある人は何か大きな出来事を経験することで。
人はそれぞれ自分に合ったふさわしい方法で自分自身を成長させているんだと思います。
私の場合は、それがJW2世として育ち聖書を学ぶことだったんです。
人より生まれ持った性質が悪かったので、40年近くかかりましたが(大笑)
それも私に必要な長さ、期間だったんだと今は思えます。
今、ありがたいことに時々周りの人が私のことを褒めてくれます。
「本当に優しいですね」
「いつも親切にありがとう」
その時私は心の中で言います。
「それは私がJW2世として育ち聖書を学んだからです」と。
もちろん学ばなくていいこともたくさん教えられました(苦笑)
でも、学ばなくてはいけないこともたくさん教えてもらいました。
私には必要な経験、期間、方法だったんだと思います。
そう思うと、JW2世として育てられたことも、JW組織にも、聖書にも、ありがとうという気持ちになります。
ただ、これからの私にはもうJW組織は必要ありません。JW組織を通して学ぶ期間は終わりました。
これまでにサンキュー、これからはノーサンキュー といった感じでしょうか(笑)
これからはまた別の方法で、今の私に合った方法で、私は私自身を成長させていきます。
JW2世として育ち、何十年も組織の中に居たことにどう折り合いをつけるか、自分の過去をどう受け止めるか、散々もがき苦しみましたが、今はそんな過去も受け入れ、肯定でき、感謝すらできています。
こういった出来事を通し、また人から与えられるありがたい言葉を通し、このようにして私は少しずつですが、我がJW人生に悔いなし!と言えるようになっていくのでした・・・^^