世の人恐怖症を克服する | サミーの「我がJW人生に悔いなし!」

サミーの「我がJW人生に悔いなし!」

0歳から30年以上に渡るJW人生・・・
JWの表も裏も知り尽くした?元長老の心の叫び(なんて大したものではなく)

我がJW人生に悔いなし!と思いたいがために
あれやこれやと書き連ね、自分の心を整理するためのブログです^_^;



JW時代に散々刷り込まれた、この世は悪い、世の人は悪い人ばかり・・・という考え方。

JWの活動を止めて世に溶け込もうともがく中で、なかなかこの考えが抜けなかった。

最初は疑いや恐れの気持ちが強く、いわばこわごわ接していました。


世の中に溶け込んで普通の人になりたいと願う一方で、世の人になることへの抵抗感、罪悪感とも闘っていたんですね。そして、世の人は本当は悪い人たちだから感化されてはいけない、というJW思想が抜き切れていなかった。


しかし、何年かかけてたくさんの人たちと接っしていくうちに、なんだいい人ばっかりじゃないか、何も怖くないじゃないか、と少しずつまともな考え方に変化していきました。


裏表のない純粋な人たち、仕事一筋で真面目な人たち、居酒屋で会えば毎回ビールをごちそうしてくれるおじさん、採れたての野菜をくれる農家さん、イクラやカニを惜しみもなくくれる漁師さん、どれだけ食べて飲んでも半額くらいしか請求しない炉端のお母さん(笑)


本当に皆いい人ばかりで、自分が何十年も聖書を勉強して人間として魅力的な人になろうと努力してきたことが馬鹿らしく思えるほど、皆さんいい人なんです。なんだ聖書なんて勉強しなくったって立派な人間になれるじゃないか、とそう感じました。


北海道の大自然と共生している人たち、自然の優しさと厳しさの両方を日々体感しながら育ってきた人たちは、なんていうのでしょうか・・・いい意味であきらめているように思います。


雪が降ったらお休み、降らなきゃ頑張る。自然にはむかってもしょうがない、なるようにしかならない。色々考えたってしょうがないんだよ、明日の天気なんて明日にならないと分からないんだから、ガハハ。そんな感じです。キリストの教えに近いものがありますね(苦笑)


でもこれが人としての自然な生き方なんだなあ、と思いました。


ある時、そっか自分はもう闘わなくていいんだ、とスッと心が軽くなった瞬間がありました。
この人たちのように、もっと大らかに生きていっていいんだと。
気を張って生きなくてもいいんだなあと。


思えばJW時代は日々闘っていたんですね。もっと頑張らなきゃ、もっと立派な人にならなきゃ、自分の至らない面にばかり目を向けて、もっともっと、まだまだっていつも自分に鞭打っていたんだなと。だってそういう教えでしたもんね。

でも、もうこの闘いをやめていいんだ、この闘いのらせんからおりていいんだ、と心からそう思えたんです。


そう思えるようになってから、今まで以上に人の中にすんなりと入っていけました。こわごわではなく楽しみながら人と接することができるようになりました。



最近ある人に言われました。

「付き合い始めた時は、いい奴なんだけどなんか気取っていて、よそよそしくて、絶対心の内を明かさない、心の奥のほうに冷たい川が流れているようなそんな雰囲気だったよね。浮世離れしてるっていうか、皆の輪の中に居ても実際はそこに居ないような感じ。でも今じゃもう立派な俺らの町の仲間だなあ~」って。


皆分かっていたんですね。分かっていても何も言わず、温かい目で私の成長を見守ってくれていたんですね。これが人の優しさなんですね。

そんなつかみどころのない変わったよそ者と、皆さんよく一緒に付き合ってくれてたなあと、今思い返せば本当に感謝です。


確かにこの世の中には悪い面もあり、悪い人もいるでしょう。
でもとりあえず私の周りには悪い人はいませんでした(笑)


かつては世の人と呼んで蔑み、関わることを避けていた人たちから今は大切な教訓を学んでいます。自分の心のガードを外し、勇気を出して飛び込んで行くことで世の人恐怖症を克服し、この世の中での生活を楽しむことができています。


私を普通の人にしてくれた、この愛すべき世の人たちに心から感謝しています^^