今年の夏は特に暑い。
庭で遊んだビニールプール。
小さな彼は、大興奮で水のないプールに飛び込んだっけ。
楽しそうに水しぶきあげてたっけ。
プールの周りを。うれしそうに走り回って、すべってこけて、泣いてたっけ。
お腹が、メタボの親父みたいに、パンツの上に乗っかってたよね。
でもね。
あの時のビニールプール。
栓がスポンって抜けるようになっちゃって。
膨らまないの。
もう。
膨らまないの。
今年の夏は特に暑い。
庭で遊んだビニールプール。
小さな彼は、大興奮で水のないプールに飛び込んだっけ。
楽しそうに水しぶきあげてたっけ。
プールの周りを。うれしそうに走り回って、すべってこけて、泣いてたっけ。
お腹が、メタボの親父みたいに、パンツの上に乗っかってたよね。
でもね。
あの時のビニールプール。
栓がスポンって抜けるようになっちゃって。
膨らまないの。
もう。
膨らまないの。
人は忘れていくものです。
どんなに印象の強い出来事だって、時がたてばその記憶は薄れていく。
彼らのこともきっと過去のことになっていくんだわ。
だって、私がおばあちゃんまで生きたとしても、彼らはあのときのまんまなんだから。
私の現実と、遠い過去。
けれど、忘れないように。
きっと、その日に彼らは去っていたんだ。
なにかがそうさせたんだ。
娘が生まれようとしていたその日、彼らは逝った。
それは、忘れない。
一生忘れない、事実。
彼女が死んだ夜。
私、ブログ書いてたんだって。
あとで友達に聞かれて。
ああ。そうだったって気づいた。
あの日は地元のお祭りで。
お祭りに行く約束を子供としていたもんだから、お祭りに出かけた。
そのことを、ブログに載せていた。
いつもの日常のように。
お祭りの間中。
困惑していた。
彼女の死が夢であればいいと思い。
信じられない気持ちでいっぱいだった。
いつもとは違ったお祭りの風景と今の自分のギャップを感じた。
涙も出そうになって。
なんども空を見上げた。
けれど、私はそんな気持ちは横に置いておいて。
いつも書いていた育児や家族のブログを書いた。
ブログの世界は私にとってひとつの逃げ場なのかもしれない。
ウソは書いていない。
でも、書かないこともある。
楽しい日常を書く。
困ったことや悩みも時々は書くけれど、基本は自分の家族が楽しく暮らしている様子を書く。
本当は、毎日怒ってばかりなのに。
感情にまかせて、子供をたたいてしまうこともある。
怒鳴ることもある。
けれど、それは書かない。
それと同じように。
私は、彼女の死から逃げていたのかも知れない。
それ以前に、彼女から逃げていたのかもしれない。
弟の三周忌を終えた。
もう二年もたったなんて。
時の流れはホントに早い。
そういえば、娘ももう二歳。
弟がいなくなってからの時間が、彼女の生きた時間。
こうして、これからも時は止まらずに流れ続ける。
生と死の皮肉な背中合わせの関係。
もしもはない。
もしもってもしもあの時って思うけれど。
人生にもしもはない。
あの日、彼にもっとなにか言葉をかけてあげたなら。
彼女に電話しておくんだった。
もしもそうしていたとしても。
彼も彼女もきっともういない。
それは、彼らが選んだ道なのだから。
最近、生きることの意味がわからなくなるときがある。
意味なんてないのかもしれない。
人は死ぬのに。
どうして生きるのか。
一生懸命。
つらいことがあっても生きなければならないのか。
みんなが居なくなって、取り残されても。
生きる。
まわりを見回してみた。
ウチは家族4人。なんとか平々凡々と暮らしている。
実家は両親と私の祖父。
祖母は3年前に他界。
祖父は少々面倒な人で。
母も父も、とても気を使いながら暮らしている。
今はみんな元気。
祖父も80歳を越えても、ゴルフに行くほど元気。
でも、もうなんといっても老人。
みんなが元気じゃなくなったときに、この家族がどうなるか。
考え出すと不安でたまらなくなる。
旦那の実家。
義母と義父のふたり暮らし。
義父は呼吸器系を病んでいる。
普通に座っていても、肩で息をするくらい。
それでも、車に乗って、何かと理由をつけては、孫に会いにウチにやってくる。
いつまで続くのか。それが問題。
叔母の家は息子ふたりと3人家族。
息子ふたりは、もう30代後半だけど、結婚はしていない。
する気がないみたい。
叔母が家事の一切をやっている。
順番から行くと、叔母が先に歳をとるわけで。
叔母がいなくなったら、この兄弟はどうやって生活してくんだろう。
旦那のお姉さんは少し田舎の大きなうちに嫁いでいる。
嫁いで、10数年、もうすぐ40歳。
けれど、子供がいない。
跡継ぎはいない。
母の実家。
昨年末、祖父が90歳で他界。同じ歳の祖母は健在。
結婚をしていない母の弟さんと暮らしている。
昼間は、弟さんは仕事で居ないので、母が見に行ったり。
ヘルパーさんに来てもらったり。
祖母が居なくなれば、叔父もひとり。
ひとりぼっち予備軍がこんなにいっぱい。
どうなってんだろう。世の中は。
でも、ひとりになっても人は生きる。
何でだ?
本能だから?
私もなんで生きてるのかなぁ。
弟は死んでしまった。
まだ記憶は新しいけれど。
自分だけが、どんどん歳をとっていくことが怖い。
私がもし、長生きをして。
80歳とか90歳とかなったとき。
彼の存在はどんな風に心の中に残っているんだろう。
弟が死んだとき、彼女が言ったんだ。
「死んでしまったら、何にもない。意味がないのに」
ということは、やっぱり生きることに意味があるのだ。
そう。
死んだら終わり。
意味がなくなるんだ。
自ら命を絶とうとしている人は、意味がなくなることを望んでいるのかもしれない。
死にたい理由は人それぞれ。
けれど、私は生きるよ。
もったいないもん。
私という存在は、今ココに私だけ。
どんなに自分が気に入らなくっても、イヤになることがあっても。
今、私はココにいる。
ウチの長女は4月に幼稚園に入園しました。
小さな彼も、同じように通うはずだった幼稚園。
長女が突然思い出したように、彼のことを口にします。
「○○君はねー、まんまいさん(仏様)になったからねぇ。もう会えんのよ。
遠くに行ってしもうたからねぇ。△△ちゃんも会えんねぇ。遠くになったからねぇ」
△△ちゃんは、以前住んでいた家のお隣に住んでいました。
本当に会えなくなってしまった、小さな彼と。
遠く離れたから、なかなか会えなくなった小さな彼女。
△△ちゃんとは、またいつか会えるかも知れないけれど。
永遠に会えない小さな彼。
長女の中では、同じように会えなくなった大切な友達なんだろうか。
これから長女の記憶の中に、どんな風に残っていくんだろうな。
引越しで、なくしてはいけないと思ってカバンの中に入れたんだった。
ふと。カバンの内ポケットから見つけた手紙。
彼女がくれた手紙。
彼女は彼女なりの苦しい胸のうちをつづってくれた。
また、いっぱい話ししようって。書いてあったのに。
心が苦しくなって。手紙は広げられなかった。
裏から透けて見えた「いっぱいはなししよう」という一行。