+++1つの節目とさようならと+++
2019/03/13
突然の解雇宣言により、退職することになった職場。
とっても気に入っていたのに、何故だろう?この事で1つの区切りがついた気がする。
仕事はきっちりやっていたつもりだった。
上司の評価は最悪だった。
でも、現場で私に関わったスタッフやコーディネーターさん、設計士さんからの評価は最高だった。
こっちの方が嬉しくて、辞めることになったことを泣いて受け止めてくださった方も。
それだけでも私は幸せだって思った。
職場のお昼休みに遊んでみる、の図。
辞める、と思ったら、きちんとしていたオフィスカジュアルも型破りしたくなった。
すごくカジュアルな格好で仕事に望んだら、お客様に大好評だった(笑)
会社のため、ではなく、スタッフやお客様のために、精一杯最後まで頑張りたいな!と思った瞬間でした。
でも、この仕事を辞める事で、土日、祝日の拘束がなくなるから、子供達との時間も作れるようになるメリットもあり、タイミングなのかもなぁ、節目なのかもなぁ、と思ったりして。
そして、そんな最中、祖父母の住んでいた古い裏の家の解体工事が始まった。
私が物心ついた時から、当たり前のようにそばにあった家。光景。
この棚には、私が大好きだったコップがあったなぁ。
よく見ると、とてもお洒落なガラス。
外して持ち帰りたかったけど、外れなかった。
残念!
昭和の中盤に建てられたこの家は、ちょっぴり古民家のような平屋。
でも1つ1つがこうしてみるとモダンで、改めて祖父母のセンスの良さを実感した。
キッチンで、よく祖母が作る予定で置いてあったこんにゃくを釣るん、と落とす事が大好きだった幼い日の私。
よく怒られたなぁ。
でもとても可愛がってもらった。
畳は取られてしまっていたけど、仏壇があって、私のお雛様を飾ってくれていた和室。
従姉とここで寝泊まりしたり、祖父母と遊んだり。
手前の押入れの一番下の段に、おもちゃが入っていて、よく遊んだなぁ。
そしてここから見るお庭は、古き良き日本みたいな光景で、まるでタイムスリップしたような、そんな優しい光景だった。
ここで法事をする日が好きだった。
祖父母が亡くなり、約30年と15年。
その後、私の母方の祖父母、叔母が住んでいたけれど、今回取り壊すことになり、空っぽになった家を見たら、やはり父方の祖父母の思い出がたくさんで、何度も家に、ありがとう。と言葉をかけた。
リビングにあったソファーの背もたれに、従姉と座ってはスプリングが凹み、怒られていた場所。
ソファーでは時々祖母後お昼寝したり、その顔を見ると安心した。
暖かな光景だったから。
ちょっと深いお風呂。
キッチンの冷蔵庫には冷えたお水の入ったコップがあった。
その味がとても好きだった。
床の模様は、バームクーヘンみたいだ、美味しそう。
そんな風に思っていた。
大切に大切に扱われていた場所。
私の幼い頃の全て。
もうすぐ切られてしまうだろう木瓜の花が、蕾をいっぱいに膨らませている。
その隣には、見頃がちょうど終わりかける桃の花が。
青空にちょっと眩しくて、涙が出そうになった。
ここもまた、1つの節目を迎える。
そして、もうすぐ平成も終わる。
どんどん流れができて、変化の時が来ているんだな。と嫌でも実感する。
古いものはもう断捨離して、先はと進んでいく時代がきた。
そんな節目のような気がする。
私の仕事も。
もう今の私の中では古いもの。なんだと思う。
そして、必ず良い形に変化していくんだろう。
そして、私自身、シングルマザーになることになり、子供達をしっかり養っていかなくては。
その、夫との関係も今がどん底で、きっと変化していくんだと思う。
なぜかわからないけれど、友達くらいまで戻れる気がする。
夫婦じゃダメだったけど、友達くらいに戻ったら、うまくいくのかもしれないな、とふと思う。
憎しみとか、怒りとか、そういうものもいつの間にか手放して、ありがとう。が言えるような気がしている。
全て、全てに。
それはとても大切なこと。
いつの間にか、エネルギーに変わって、頑張りすぎないペースで私の背中を押してくれている気がする。
ありがとう、が言える気がした。
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