Mからのメールは、嬉しいことがたくさん書いてありすぎて、とまどう。Mからの、とてもとても嬉しい、最後のメールの後に、私にいろいろなことが起きて、しばらくメールが出来なかったんだけれど、そうしたらしばらくして、Mから、同じメールが送られてきた。返信がないと、メール、ちゃんと届いたのかなって、思ったり、するじゃんね。
だから、私からのメールの返信を、待ってくれているのかなって、思って、「今、突然、ちょっと大変なことになっていて、メールが書けなくてごめんね」とメールをして、そこに、小さな冗談で、写真を送った。そうしたら、スカイプができる?っていう、短いメールが送られてきたから、できるよ、って、メールを返したりした。そしてそのあとしばらく連絡がなかったけれど、一昨日メールが来て、それはどうも、スカイプに送ってくれたメッセージだったみたいなんだけれど、どうしたの?!大丈夫か?!?!?!君のことを、なんかしょちゅう考えてしまうんだ。なんか、君は、僕をとても心配させるし、同時に、すごくfunnyなんだ!お願いだから、僕がそっちに戻るのを待っていて。僕も、そこで仕事を見つけたい。って…なんか、あれ?これ、情熱的じゃない?まずくない?好きって言っているような、メールじゃない?そう思って、動揺した。だってMは、きっときっと、20代、前半、だもん。30才くらいに、見えなくもないけど、言動が、20代の、前半な気がする。まっすぐで、一生懸命で、ばかもするし、情熱がある。だけど私は、36才。Mはきっと、私のことを、20代半ば、と、思っているに、ちがいない。東洋から来た私は、本当に若く見えるみたいで、それは嬉しいような、だけどときどきこういうことになって、困ったりも、する。はたちに、なりたい。はたちになって、Mの気持ちを、受け入れたいのに。このまま、可愛いメールのやりとりを、続けたいのに。せめてMが、29才であることを、アファってみよう。
はっと気づけば2012年、もう、4月なんだ。びっくりする。3月までは、やることがいっぱいで、頭もいっぱいで、
本当にホントにぴゅーんて過ぎてしまったけれど、4月に入ってみたら、なんだか、あれ?!っていう感じで、1月2月3月は、なにをしていたんだっけ、って、あせる。でもいろいろしてたよ。大丈夫。すごくがんばっていた。また傷ついたり、やきもきしたり、大変な想いをしたり、人に、助けてもらったりしながら、進んできた。まずはちょっと、部屋をかたそう。そしてちょっと、落ち着こう。
年齢かな。こうやって気にすることが、気にする状況を、呼ぶのかな。アファメーション、やってみるかな。よし、やってみよう。
I am at peace with my age. Thanks.
留学をするにあたって、お金を借りた。両親に。でもお金を使うたびに、苦しかった。私はもう1円だって、お父さんとお母さんのお金を使いたくなくて、そんな気持ちが絡まって、ときどき、ことがややこしくなった。今回、私は南から西へ車を運ぶために、電車の予約をしたかったんだけれど、電車は私の分の席しかあいていなくって、車を運んでもらう分のスペースはいっぱいだったから、私は泣く泣く、車は後で、ということにして車をCのところへ置いてきた。けれど、車だけを電車にのせると、その料金は突然とても高くなって、私は頭をかかえた。まず、仕事を決めないといけない。それから車を呼ぼう。でもここで、私がしようと思っている仕事をするには、きっと、車がいる。今車の予約をしなかったら、いつ車を私のところに運べるか、わからない。どうしよう。でもお金を使いたくない。
そうやって考えているうちに、時間が過ぎていって、私はとうとう、もうどうしても車を呼ばないといけない状況に陥ってしまって、結局、お父さんに、そんな話しをした。お父さんは、いつものように、「お金が必要だったら使いなさい。」と言った。私は言葉がなくって、黙った。お父さんは、「お父さんたちはこれから年金ももらえるから、心配はないから。」 私は、「そんなことを言うと、じゃあお父さんたちのお金を全部、使ってしまうよ。」と言った。そうしたらお父さんは、「いいよ。」 と、言った。そして、「家族なんだから。」 とつけたした。
私、もし、私の心臓が、その人たちが生きるために必要だったら、どうぞと言って、迷うこともきっとなく、あげることができるって思う人が、私の人生に、3人にいる。父と母と、N。生かされて生きているって気がついた日から、人生が、大切になった。今日を私の全部、全部の可能性で、生きなくちゃ!