いま想う
最後にこのBlogを書いてから、どれくらい経ったのかもはや覚えていないくらい久しぶり。
何を何から書けばいいのかと思うけど、書き留めておかなければいけない事があるから、
こうして久しぶりに開いてみた。
去年の10月末、最愛のばあばが亡くなった。
一昨年に胃がんが見つかってから、早くて3ヶ月長くて1年と言われていたけれど
1ヶ月間の放射線治療を頑張った後は、延命治療はしたくない、抗がん剤もいらないと
自宅で好きな事をして過ごし、寒い冬は、暑い夏は、お葬式に来て頂く方に申し訳ないと
次々に季節をこして気づいたら1年を超していた。
元気に過ごしているみたいだったけど、発見した時はすでに食道に転移もしていた位だから、
やっぱり痛い時だって、辛い時だってあったはず。
でも、痛いのだけは嫌だからとお医者さんから痛み止めのシールをもらって、
自分で痛みコントロールしてたのよね。
でも、1年の間に一緒に温泉だって行けたし、誕生日も祝えたし、クリスマスだってできた。
最後は諦めていた、大好きな富士の別荘で長い時間も過ごせて本当に嬉しそうだった。
最後、転んで骨が折れてなかったら、きっとまだこの場にいたのかもしれないけど、
もう満足ってきっと思っていたのかも。
12月に長期の海外出張を控えてた私は、行っている間に何かあったらどうしようかと
もちろん考えていたのだ。
6月のブラジルへの3週間の出張の時だって、ばあばの具合が心配で心配でしようがなかった。
母はきっと、私達の先の事も考えてくれたのだと言っていたけど、常に家族の事を想っている
厳しいけど気丈で本当に素晴らしい人だった。
悲しい気持ちや辛い気持ちはいっぱいあるけど、出張が続いたり、幸いにも仕事が忙しくなって
あまり感じられないでいられる。
でも、本当はまだまだ信じられないでいるのよね。
変わってしまったあの家が怖くて、ほとんどあの家に行けていない。
ばあばがいない事が辛いから、
でも、ばあばは大好きなじいじにやっと会えて、きっと嬉しいのかな。
そんな素晴らしいじいじがなくなってから、もうすぐ4年。
先日、「永遠の0」の映画を観て、更に想いにふせた。
本も読んでいたからストーリーは知っていた。映画もよかったけど、何よりも
あの映画をきっかけに、私はじいじを想い涙が止まらなくなった。
じいじは第二次大戦中、徴兵されパプアニューギニアやフィリピンを始め外地での
激しい戦いで生き残って帰ってきた人だった。
戦地からの帰りの船が攻撃されて、9時間海上で助けを待ったという。
その時、生き残ったのは全体の1/3。壁一枚で敵と向かい合い手榴弾をもっていたとか。
そんな話は山ほどあった。ばあばに聞くと、何年もうなされていた時間もあったという。
往年は私達に戦争がどうだと何度となく言っていたけど、そう伝えなければいけないと
きっと思っていたのだろう。だって、多くの戦友が目の前でどんどん亡くなったのを見て、
生き残って帰ってきたのだから。
帰ってきて、決して戦後は楽ではなかったみたいだけど、歯を食いしばって頑張った。
生き残った人の使命。生きたくても生きられなかった人を山ほど見てきたから。
今を一生懸命に生きる。そういう人だった。
だからこそ、じいじは常に言った。
「若い時の努力が年をとって必ずでる。だから若い時に努力をしなさい」と。
そう、きっとそういう事を今の時代知らない人は山ほど多い。
ただ何となく時間を過ごしても、一生懸命頑張っても、時間は同じだけ過ぎて行く
でも、その過ごしている時間が大切なのだ。
こういう想いを忘れずに、日々を一生懸命生きる事それが大切。
念願だった、思い続けたブラジルワールドカップが目の前に。
ここにたどり着けたのも支えてくれた家族を始めとした回りの人たちのおかげ。
感謝を胸に謙虚に、しっかりと仕事をするのみ。
「あんまり口には出さないけど、頑張ってると思ってるわよ」
そんな祖母の言葉を忘れずに、日々邁進なり。

何を何から書けばいいのかと思うけど、書き留めておかなければいけない事があるから、
こうして久しぶりに開いてみた。
去年の10月末、最愛のばあばが亡くなった。
一昨年に胃がんが見つかってから、早くて3ヶ月長くて1年と言われていたけれど
1ヶ月間の放射線治療を頑張った後は、延命治療はしたくない、抗がん剤もいらないと
自宅で好きな事をして過ごし、寒い冬は、暑い夏は、お葬式に来て頂く方に申し訳ないと
次々に季節をこして気づいたら1年を超していた。
元気に過ごしているみたいだったけど、発見した時はすでに食道に転移もしていた位だから、
やっぱり痛い時だって、辛い時だってあったはず。
でも、痛いのだけは嫌だからとお医者さんから痛み止めのシールをもらって、
自分で痛みコントロールしてたのよね。
でも、1年の間に一緒に温泉だって行けたし、誕生日も祝えたし、クリスマスだってできた。
最後は諦めていた、大好きな富士の別荘で長い時間も過ごせて本当に嬉しそうだった。
最後、転んで骨が折れてなかったら、きっとまだこの場にいたのかもしれないけど、
もう満足ってきっと思っていたのかも。
12月に長期の海外出張を控えてた私は、行っている間に何かあったらどうしようかと
もちろん考えていたのだ。
6月のブラジルへの3週間の出張の時だって、ばあばの具合が心配で心配でしようがなかった。
母はきっと、私達の先の事も考えてくれたのだと言っていたけど、常に家族の事を想っている
厳しいけど気丈で本当に素晴らしい人だった。
悲しい気持ちや辛い気持ちはいっぱいあるけど、出張が続いたり、幸いにも仕事が忙しくなって
あまり感じられないでいられる。
でも、本当はまだまだ信じられないでいるのよね。
変わってしまったあの家が怖くて、ほとんどあの家に行けていない。
ばあばがいない事が辛いから、
でも、ばあばは大好きなじいじにやっと会えて、きっと嬉しいのかな。
そんな素晴らしいじいじがなくなってから、もうすぐ4年。
先日、「永遠の0」の映画を観て、更に想いにふせた。
本も読んでいたからストーリーは知っていた。映画もよかったけど、何よりも
あの映画をきっかけに、私はじいじを想い涙が止まらなくなった。
じいじは第二次大戦中、徴兵されパプアニューギニアやフィリピンを始め外地での
激しい戦いで生き残って帰ってきた人だった。
戦地からの帰りの船が攻撃されて、9時間海上で助けを待ったという。
その時、生き残ったのは全体の1/3。壁一枚で敵と向かい合い手榴弾をもっていたとか。
そんな話は山ほどあった。ばあばに聞くと、何年もうなされていた時間もあったという。
往年は私達に戦争がどうだと何度となく言っていたけど、そう伝えなければいけないと
きっと思っていたのだろう。だって、多くの戦友が目の前でどんどん亡くなったのを見て、
生き残って帰ってきたのだから。
帰ってきて、決して戦後は楽ではなかったみたいだけど、歯を食いしばって頑張った。
生き残った人の使命。生きたくても生きられなかった人を山ほど見てきたから。
今を一生懸命に生きる。そういう人だった。
だからこそ、じいじは常に言った。
「若い時の努力が年をとって必ずでる。だから若い時に努力をしなさい」と。
そう、きっとそういう事を今の時代知らない人は山ほど多い。
ただ何となく時間を過ごしても、一生懸命頑張っても、時間は同じだけ過ぎて行く
でも、その過ごしている時間が大切なのだ。
こういう想いを忘れずに、日々を一生懸命生きる事それが大切。
念願だった、思い続けたブラジルワールドカップが目の前に。
ここにたどり着けたのも支えてくれた家族を始めとした回りの人たちのおかげ。
感謝を胸に謙虚に、しっかりと仕事をするのみ。
「あんまり口には出さないけど、頑張ってると思ってるわよ」
そんな祖母の言葉を忘れずに、日々邁進なり。
