なくそう水害、市議会ニュース78号 | 日本共産党武雄市議会議員☆江原一雄のブログ

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わがふるさとの山

なくそう水害、市議会ニュース78号

昨年8月14日の「水害」から半年が経とうとしています。下記の文章は、「六角川流域治水をすすめる会」共同代表の田崎以公夫氏が佐賀県詩人会議の詩誌発行「複眼」に掲載されたのを皆さんに紹介いたします。

「なくそう!水害」  田崎 以公夫

 

原稿締め切りが迫って、ようやくペンを執ったのが十一月十四日。この日は「8月水害」の集中豪雨災害から丁度三か月目を迎えた日だった。二年前、同じ8月に起こった大水害よりもさらに水位が高く、被害も大きい今年の水害であった。

 あの日、佐賀県武雄地方に朝早くから降り続いた雨はたちまち国道を冠水させ、住宅に迫った。我が家は少し高い敷地に建ってはいるが、それでも、あれよあれよと言う間に水は玄関口に押し入り、刻々と水かさを増していった。差し迫る水とにらみっこすること数十分、床上まであと数センチのところでようやく、水の勢いが止まった。一時は床上まで水が這いあがり、畳が水をかぶっても仕方ないと覚悟したものの、増水がピタッと止まって難を逃れたときは、これで「救われた」との思いで肩をなでおろしたのだった。

辺りを見渡すと一面の海

気を取り直して辺りを見渡すと一面の海である。物音は全くしない、まるで死の世界である。不気味な静寂さの中を泥色の水が動き出した。ポリバケツやタンクなど色々な容器類が流れていく。我が家の周りにあった灯油用ポリ容器もつぎつぎに流れの行列に加わっていく。一輪車までが水の上を浮きながら流されていく。リールに巻いたホースが流れ出して私は慌てた。畑用タンクに注入するための大事な用具なのだ。それを引き戻すために私はパンツ一つになって、玄関口から水中に泳ぎ出さそうとした。だが、足を踏み出した瞬間、水の深さに驚いた。私の顎まで水に浸かってしまったのだった。「これは危ない」ととっさに思い直して玄関口に戻ってしまった。後でこれを知った妻が私の無謀さをなじることしきり。しかし、近所の家庭はそれどころの騒ぎではなかった。押し寄せた水は床上まで浸し、畳も家具も、そして、洗濯機や冷蔵庫など電気器具も水浸しにしてしまって使用できなくしてしまった。フロアや建具などはほとんどが合板製なので、水膨れしてしまい全部を取り換えなければならない。大変な被害である。

使い物にならなくなったこれらの品々は災害廃棄物として、運動公園グラウンドに山積みされた。冷蔵庫や洗濯機など電化製品の後ろ側の金属板には2019年製と打ち込んである。ほとんどが二年前に買い替えたばかりの新品同様の電気器具ばかりである。新型のテレビもズラリと並べて捨てられている。二年前の水害でそれぞれの家庭に迎え入れられた製品が二年も経たないうちにお払い箱になった図式である。買い替えたばかりの家具や電化品を捨てなければならなかった家人たちの気落ちと悔しさは想像するに余りある。

 水害の傷跡は今も生々しい

「8月水害」から三か月経っても、まちは立ち直っていない。水害の傷跡は今も生々しい。客が多かったうどん店やスーパーが廃業し、ガソリンスタンドは営業停止が続いている。住宅で長い時間、濡れっぱなしされた床下は乾燥が悪く、床板をはぐったままブロワーと呼ばれる送風機や扇風機をフルに動かす状況が続いている。台所も居間も使えないため、知人などを頼って避難を続けている世帯も多い。だれも住んでいない家を修理する大工さんや左官さんが忙しく仕事している姿だけが目に映る。看護師の私の知人宅は二階家なので階上だけが生活空間になって、食事はスーパーから買って来る弁当とカップ入りインスタント味噌汁だけの毎日だと言う。

 しかし、もっと大きく深刻な問題は心のケアである。多くの人々が将来に対する不安を抱えている。「このまま、この地に住めるのだろうか」

 三か月のあいだに103世帯転出

実際、二年のあいだに二回も同じような水害に遭い、業を煮やした人たちがこの地を去って行った数は、合併前の旧町だけでもこの三か月のあいだに103世帯を数える。周りには空き家が目立ち、売地の立て札もあちこちに立つ。土地や家を売ってどこかに移ろうにも、「水害地の物件は買い手がない」と不動産屋も取り合わないと言う。高齢者家庭では新たに住まいを求めるすべもなく、新築して移住して来たばかりの若い世帯はローンに釘づけされて途方にくれる状況にある。

 ゴーストタウンになりかねない

このままでは、このまちはゴーストタウンになりかねない。誰もが危惧の気持ちに晒されている。私は「8月水害」が起こった月の末に載った地方新聞の記事に注目した。二年前の「佐賀豪雨」と今月の「8月水害」をテーマにした治水対策の討論会の記事である。低平地に起こった「内水氾濫」の被害を減らすためには特別な措置が必要だと佐賀大学大串浩一郎教授(水工学)は強調している。参加者からは「六角川下流右岸の雨水を有明海に直接排水できるようにすれば」と提案があった。教授は「そうなれば六角川の水位を下げられるので、その分を左岸側の排水に使える。流域全体で相手を思いやりながら、どうすべきか考える時期に来ている」と応じたと報じられている。

 私はこれだと思わず手を叩いた。この考えこそ一年前から私が心に抱いてきた構想ではないか。私は「災厄を二度と起こさないこと、その根本的対策は明瞭である。一刻も早く降って来た大量の雨水を有明海に放流することである。そのための一つの方策として考えられるのが六角川のバイパスすなわち放水路を設けることである」つまり、気候変動のもと豪雨水害を避けるためには六角川に頼るだけでは不十分で、別途の対策を講ずべきだと私も主張し、水専門の大学教授も強調しているのである。「我が意を得たり」私の心は踊った。

「来年もこんな目に遭わなければならないの」

私は大きな物質的被害もさることながら、もっと大きく深刻な問題は心のケアであると先に述べた。「このまま、この地に住めるだろうか」「来年もこんな目に遭わなければならないのだろうか」と毎日のように心配を抱えながら暮らさなければならない人々の不安を解消してあげなければならない、私は胸の底に動くものを感じた。

 私は、これは政治の問題だと直感した。甚大な被害が起こり、これを解決する方向も論じられてきている中で、有効な手だてを講じようとしないならば、これは政治の怠慢だと考えた。「同じ人が同じような被害に2度遭った。抜本的な治水対策を超短期で」と求めた地元首長に「流域治水を加速させ、抜本的にやる」と応じた国土省大臣だが、双方に水害は人災だとの認識があるかは疑問だ。

 9月定例武雄市議会を傍聴

私は9月定例武雄市議会を傍聴した。傍聴席で初めて出会ったEさんご夫婦と協力して、傍聴記を書いたビラを水害地域に配った。ビラを配る中で私たち被災者が声を上げることが必要なことに気がついた。Eさん夫妻や私たち夫婦など数名で「六角川流域治水をすすめる会」を立ち上げ、内閣総理大臣あてに要請署名用紙をつくり、被災者の家庭を訪ねて署名を集めた。総選挙の最中であったが、水害に遭った医院や建設会社にも協力を求めて一か月経たないうちに五四三筆の署名が集まり十一月初め、就任したばかりの岸田文雄総理の名を書いて総理府に送った。共産党九州ブロックで三回目の当選を果たしたばかりの田村貴昭議員の取り計らいで、九日に国土交通省とオンラインでの対面が実現し、四十分間にわたって被災の実態の訴えと速やかな対応を求めて要請交渉を行った。「国は来年度も河川の浚渫、河道拡幅など予定している。全国的な異常気象で財政が厳しい」との国交省の言い逃れに、田村議員は六角川の特異性を考えて、事例にとらわれることなく、心の折れない施策をと求めた。

「なくそう!水害」の旗印のもと

「すすめる会」では地元新聞で大きく報じられた大串佐賀大学教授を招いて、十一月最後の日曜日に北方町中央公民館で講演の集いを計画して準備をすすめている。元町づくり協議会々長や元建設会社々長らも呼びかけ人に名を連ねて、「すすめる会」への入会を勧めながら、「なくそう!水害」の旗印のもと、大いに気運は高まってきた。