本土寺の続きです。
菖蒲の池のほかに、水連の咲いている池もあり、亀が数匹甲羅干ししてるのが見れました。夫からもらった写真をみたら、亀が写ってない…
銭新井辨天様もいらっしゃいます。
私、準備してきた!とジップロックに入れたお札を出していたお姉さんがいました。錢洗いって小銭を洗う訳じゃないんですね。
夫が猫の像があるよ というから見てみたら、お稲荷さん。
キツネさんですよ。
最後まで紫陽花を楽しんで、本土寺を後にしました。
帰るころには、入口のチケット売り場にはかなり人が並んでいました。
本土寺、あじさい寺と言われてるとおり、紫陽花が多いのですが、見たところ、紅葉の木も多かったです。秋はきっと鮮やかな赤になって綺麗でしょうね。
違う季節にまた来れると良いな。
お寺を出た後には、行に通った参道でトマトを大袋で購入。
ちょっと傷があるものですが、家で食べるんだから、問題なしです。
そして、お昼はここで食べる!と決めていた参道途中にある草木庵というお蕎麦屋さん。
早めのお昼時間でしたが、お店の中はすでにお客さんでいっぱいでした。ここでもタイミング良く座れたので、冷やしタヌキ蕎麦を注文。ちなみに紫陽花の時期はお蕎麦だけで他のメニューはお休みだそうです。
夫はうどん派なのですが、蕎麦しかないので、私と同じ冷やしタヌキ蕎麦を注文。
めずらしく美味しいといって、蕎麦湯の飲み方も聞いて完食してました。
帰りに表の写真撮ろうとしたら、外にはかなりお客さんが並んでいたので、写真は撮らず。
本当はこの後、JAのお店さいてってに行きたかったのですが、この日は定休日とあったので、このエリアのことをネットで調べていた時に、みつけたこちらへ。
この見た時、え~っ ここなんだ!関東にあるんだ!とびっくりしました。(えっ有名?)
矢切の渡しといえば細川たかしさん、あの頃って、北酒場も流行ったあとだし、もう細川さん全盛期のころですよね。
母が演歌好きだったので、当時3歳ぐらいの私は、流行っていた心のこりを「わたしバカよね。おばかさんよね。」とずっと歌っていたぐらい、ある意味親しみのある歌手?
これは一度は行ってみようと、矢切の渡しへ。
細川たかしはもちろん、矢切の渡しも寅さんも何も知らない興味のない夫にとっては、ただの川辺ですが
来たよ!
この道の奥に桟橋があり、ちょうど船が着いたところでした。
船に乗らない人は桟橋に入ってはいけないとのことなので、写真はここまで、ちなみに船はエンジンついてました。
矢切の渡しって駆け落ちの歌だったのね。
子供だったから、何も考えてなかったよ。
野菊の墓というと松田聖子ちゃんのイメージ。
野菊の墓もここのお話だったんですね。
というわけで、ここ数日、私の頭の中は矢切の渡しが回ってます。昭和58年(1983年)のヒットだそうです。
細川さん若いです。今でもご活躍ですね。